※この記事は、「神の見えざる手~前編~」の続きです。
「神の見えざる手」の概要については、前編で既に書きましたので、
今回はこの概念の危険性について書きたいと思います。
さて「神の見えざる手」とは、
①利己的に行動する人
②市場において
③自由に競争する
の3つが必要で、これらの条件が整うと、自然と経済的な需要と供給が均衡し、
社会的安定性が保たれるという概念です。
利己的な人とは・・・他人の利益を考慮に入れず、自分の利益だけを追求する人のこと
確かにこの世の中の経済人、消費者のすべてが、同じ基準で
自分の利益だけを追求するとなると、「神の見えざる手」が
機能しそうな気もします。
経済人の中の企業経営者は高く物やサービスを売りたい、
経済人の中の投資家は、株や債券などを安く購入して高く売りたい、
消費者は質のいいものを安く買いたい。
この法則が成立する限りにおいてはありえます。
しかしこの世の中のすべての人が、利己的であるとは限りません。
また、そもそも社会とのかかわり方も、考え方も、趣向も人それぞれで
千差万別なのが事実です。
場合によっては高くてもそのブランドであれば買うという消費者や
大企業の意向に従ってただ従順に商品を生産するだけの企業の存在します。
そのそれぞれがそれぞれ違う基準で、それぞれの利益を追求する場合に、
「神の見えざる手」が働く余地はありません。
そして、利己的な人による「自由競争」が産みだす結果とは、通常は
「弱肉強食」を意味するのであり、「神の見えざる手」ではありえません。
というよりは、ある意味で「神の見えざる手」は、それを包み隠すための手段に
なっているともいえるかもしれません。
私がこの概念の危険性を最も感じるのはこの部分にあります。
例えばパソコンのOS(基本ソフト)のWindowsを開発生産販売している
マイクロソフト社は、その唯一無二の強大な存在であるがために
今までのOS市場の値段よりは比較的高価な値段でOS等を販売しています。
しかし、需要が大きいため、需要と供給のバランスが取れて、
「神の見えざる手」が機能しているように見えます。
「神の見えざる手~前編~」でも書きましたが、現在社会は
より複雑になってきています。需要も供給も日々変化しています。
既存の概念にはない新しい概念が必要になっているのかもしれません。
それをまろん風に言ってみると、
需要は「多種多様需要時代」-供給は「臨機応変時代」
より複雑な需要に、どれだけ臨機応変に供給できるか?
そういう時代になっているようです。
2007年01月14日
2006年12月13日
「神の見えざる手」~前編~
※「神の見えざる手」・・・・
イギリスの哲学者であり経済学者のアダム・スミスが「国富論」という書籍で書いた言葉。
利己的に行動する人々が市場において自由に競争をおこなえば、
自然に需要と供給が収束に向かい、経済的バランスの均衡が実現され、
社会的安定がもたらされる、という考え方、概念。
経済学を学んだ人はほぼすべての人が、アダム・スミスの「神の見えざる手」と
いう概念を学んだと思いますし、また経済学を学んだことがない人も
この概念を知っている人は多いのではないでしょうか?
それほどこの概念は有名です。
この概念を具体的に書いてみると、
需要が多くなれば多くなるほど、需要過多になり価格はあがる。
価格があがれば需要は少なくなり、供給とのバランスが取れる。
一方供給が多くなれば多くなるほど、供給過剰となり価格が下がる。
価格が下がれば需要が多くなり、需要とのバランスが取れる。
利己的な人であれば、少なくともこのような価格操作を施すことによって、
バランスをとり、適度な利益を享受するものであるということです。
なるほど確かに納得がいく概念のように見えます。
しかし、この理論は、この概念は200年以上前の時代背景にできたものです。
製鉄や食料や衣料など製造業を中心とした特定の産業しか存在しなかった
時代背景では確かに適用できる概念かもしれません。
また戦後のわが国で、大量生産大量消費の時代にも適用できたことでしょう。
しかし、現在はサービス業が中心の社会に変遷し、必ずしも需要と供給の
バランスと、価格の上げ下げは連動しなくなってきています。
その理由は以下のとおりです。
①商品への安心感や質を追求する意識が高くなってきたこと(ブランド)
②アフターサービスなど商品購入後のサービスへの意識が高くなってきたこと
③「こだわり」を持った商品への愛着(私だけ?)
④質が高いのは当然として、その中でも安い商品であることへの意識が高くなってきたこと
など。
今の時代は、安ければ商品を買ってくれる人は少なくなってきています。
それは顧客ニーズの多様化にあるといえます。
どれだけ質の高い商品をどれだけ安価に提供できるか?
顧客が何を希望し、何を期待し、何を求め、何を好み、どこまでを許容し、
どこまで要求しているのか?
こういうことを真剣に考えられた商品でなければならないのです。
この意味では「神の見えざる手」の概念は、破綻してしまっているのです。
逆に言えば企業にとっては、安易な価格競争だけでは成功を収めることが
できない非常に厳しい状況に陥っているということができます。
さて、後編では「神の見えざる手」の概念の危険性について触れてみたいと思います。
イギリスの哲学者であり経済学者のアダム・スミスが「国富論」という書籍で書いた言葉。
利己的に行動する人々が市場において自由に競争をおこなえば、
自然に需要と供給が収束に向かい、経済的バランスの均衡が実現され、
社会的安定がもたらされる、という考え方、概念。
経済学を学んだ人はほぼすべての人が、アダム・スミスの「神の見えざる手」と
いう概念を学んだと思いますし、また経済学を学んだことがない人も
この概念を知っている人は多いのではないでしょうか?
それほどこの概念は有名です。
この概念を具体的に書いてみると、
需要が多くなれば多くなるほど、需要過多になり価格はあがる。
価格があがれば需要は少なくなり、供給とのバランスが取れる。
一方供給が多くなれば多くなるほど、供給過剰となり価格が下がる。
価格が下がれば需要が多くなり、需要とのバランスが取れる。
利己的な人であれば、少なくともこのような価格操作を施すことによって、
バランスをとり、適度な利益を享受するものであるということです。
なるほど確かに納得がいく概念のように見えます。
しかし、この理論は、この概念は200年以上前の時代背景にできたものです。
製鉄や食料や衣料など製造業を中心とした特定の産業しか存在しなかった
時代背景では確かに適用できる概念かもしれません。
また戦後のわが国で、大量生産大量消費の時代にも適用できたことでしょう。
しかし、現在はサービス業が中心の社会に変遷し、必ずしも需要と供給の
バランスと、価格の上げ下げは連動しなくなってきています。
その理由は以下のとおりです。
①商品への安心感や質を追求する意識が高くなってきたこと(ブランド)
②アフターサービスなど商品購入後のサービスへの意識が高くなってきたこと
③「こだわり」を持った商品への愛着(私だけ?)
④質が高いのは当然として、その中でも安い商品であることへの意識が高くなってきたこと
など。
今の時代は、安ければ商品を買ってくれる人は少なくなってきています。
それは顧客ニーズの多様化にあるといえます。
どれだけ質の高い商品をどれだけ安価に提供できるか?
顧客が何を希望し、何を期待し、何を求め、何を好み、どこまでを許容し、
どこまで要求しているのか?
こういうことを真剣に考えられた商品でなければならないのです。
この意味では「神の見えざる手」の概念は、破綻してしまっているのです。
逆に言えば企業にとっては、安易な価格競争だけでは成功を収めることが
できない非常に厳しい状況に陥っているということができます。
さて、後編では「神の見えざる手」の概念の危険性について触れてみたいと思います。