2014年06月01日

今日は野球観戦

毎年6月はまろん父の誕生日月ということで、誕生日プレゼント込みで、
まろん父と母、まろんの3人は大阪ドームに野球観戦に行くのが
恒例になっています。

ちなみに、大阪生まれのまろんなのですが、大阪のPL学園全盛期の
桑田選手、清原選手に圧倒されたため、そのまま巨人ファンに、
まろん父は成長期は巨人戦しか中継してくれない九州出身だったため、
巨人ファン、
まろん母も巨人ファンです。

今回のカードは、交流戦のオリックスバッファローズとの対戦です。
ちなみに、大阪といえば阪神ということで、甲子園球場に阪神戦を
見に行けば、と思われる方もいらっしゃると思いますが、
甲子園球場の巨人阪神戦のあまりにも殺気立った??(笑)雰囲気は
まろん家には合わないので、巨人戦は交流戦のオリックス戦という
ことになってしまっています。

昨晩5/31のオリックスとの対戦は、9回までノーヒットノーランに
抑えられるという屈辱的な展開ながら、延長12回で勝利するという
なんとも劇的な展開だったのですが、打線の不調を心配ながらも
今日も勝ってくれるだろうと、期待が大きい出発でした。

ちなみに、まろん家が野球観戦をすると、1回負けたことがありますが、
それ以外は勝っています。

11:30に自宅を出発し、最寄り駅の八戸ノ里駅まで行き、
そこから尼崎行き各駅停車に乗車し、
八戸ノ里→ドーム前

大阪ドームの最寄り駅には、今回の利用したドーム前という
阪神なんば線の最寄り駅に加えて、
JRの大正駅、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線のドーム前千代崎、
少し離れますが大阪市営地下鉄中央線の九条駅、
という複数の駅があるため、交通アクセスとしては
非常に優れています。
それが理由がどうかはわかりませんが、以前に比べて地域も
大型スーパーや建設中の建物など建てられていたり、
発展しつつある状況にあります。

ちなみに以前に比べてというのは、阪神なんば線が開通してから
というのが正解だと思います。
ちなみに、阪神なんば線というのは、まろんブログでよく出てくる
近鉄奈良線の難波駅と阪神の西九条駅を繋ぐ新線で、
長年の紆余曲折の末に開通しました。
これにより、まろん家の最寄り駅の八戸ノ里から、甲子園や神戸三宮を
乗り換え無しで行くことができるようになったのです。
ドーム前駅は、難波駅と西九条駅の間にあります。

12:10頃に大阪ドームに到着したら、昼ごはんというか、つまめるものを
買ったり、応援グッズを買ったりしたら、始球式や沖縄琉球の空手の型を
基礎とした踊りなどを堪能して、ついに試合開始です。

試合展開と試合結果の写真は以下のとおり。
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巨人勝ちました~~!!
連勝!!

試合が終わったら、日曜日の野球観戦らしく?すさまじいファンに
もまれながら、ドーム前駅まで行き、途中で夕食用の駅弁を購入して、
自宅に帰りました。

ということで、まろん父によいプレゼントができた野球観戦の一日でした。
posted by まろん at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月27日

何で私を産んだの?

ある日、深夜のTV番組を見ていると、タイトルのようなセリフを耳にしました。
うつ病に苦しむある家族の娘さんが、母親に投げかけたセリフ。
私の周りでも、伝聞ですがこのセリフを言う子の存在を知っていますし、
当該TV番組以外でもたまに耳にします。

親としてこれほど衝撃的で、悲しいセリフはないでしょう。
男性と女性が愛し合い、結婚し、そしてより一層の幸せな家庭を築くために、
希望に満ち溢れて子を作り、そして子供が産まれた時の感動的な幸せな気持ち。
そのときの幸せいっぱいな気持ちが、このようなセリフとして返ってくるというのは、
まさに地獄に突き落とされたようななんともいえない悲しい、つらい気持ちでしょう。

では、このセリフを言った子を責めるべきなのでしょうか?
親の気持ちを察することもなく、産んでもらったことに感謝もせず、
そのようなことを言うのはけしからん!
親に向かってなんてことを言うのだ!
と言って、しかるべきなのでしょうか?
愛の鞭だとして叩くべきなのか?殴るべきなのか?

確かにそのように考える人は多いのかもしれません。

しかし、このように考えてみたら、どうでしょうか?
このセリフを言った子は本当にそう思っているのか?
このセリフを言ってしまうに至った「過程」はどうだったのか?
その「原因」はなんなのか?

親の気持ちを察することもなくといわれても、逆に親は子の気持ちは
察しているのか?
産んでもらったことに感謝って言われても、産んでもらったことで
子が何か価値のあるものを得ることができたのか?
それがないのに一方的に子だけを責めるのは果たして正しいのか?

人は、そのほとんどが様々な期待や「希望」を背負って、この世に生を受けますが、
それから何十年という人生を積み重ねていく中で、様々な多くの障害に
ぶつかり、様々な苦悩や辛苦、悲しみを経験し、それを積み重ねながら、
生きていかなければならない生き物でもあります。
もちろん、それは人が成長して、強さを持ったやさしさを身につけるための
かけがえのないチャンスであることは間違いことですが、
しかし、それができるかどうかはその人の様々な条件や環境によって
左右されてしまうということもまた間違いないことです。
そして、このセリフを言ってしまう子は、そのチャンスを生かしきれなかった、
または、まだそのチャンスを生かしきれていない子であるともいえます。

一方で親の方は、なぜか?もちろん期待値も含めてなのですが、
子が順風満帆に、普通に生活してくれるものと思い込んでいるため、
子が順風満帆に成長していかないと、親の方がパニックに近い状態になり、
思い悩み、苦しんでしまう傾向にあるようです。

そして、その結果親は子のことを理解できず、または理解しようとせず、
もちろん冷静に判断することも、導くこともできない、その原因が子に
あると思い、期待していた反面絶望やあきらめになってしまいます。
他方子は親が自分のことをまったく理解してくれ、理解しようともしないと
思い込んでしまい、親を敵視してしまう、ということになってしまいます。

これが「過去」を含めて、社会の中で発生している親子関係の断絶の原因であり、
タイトルのようなセリフを生み出すきっかけとなっているのです。

では、このような状態を改善するために、我々は何ができるのか?
何をすればよいのか?
以前まろんブログで、「親の心子知らず、子の心親知らず」という記事を
書いたことがありますが、結局はそこにいきついてしまいます。
親と子が互いに互いを信頼し、しっかりとした「コミュニケーション」を取ること。
これに勝る解決はありません。

ただ、ここで注意しなければならないのは、親子の「コミュニケーション」とは
親と子が友達のような関係にあったり、互いに話ができるということを
意味するのではありません。 勘違いしてはなりません。
親子の「コミュニケーション」とは、あくまでもお互いの意見や経験をしっかりと
伝え合うことであり、親は子供がその結果としてどのような選択をしようとも、
その選択を請け負う「勇気」と「覚悟」を持っていることが、
何よりも重要なファクターでもあるとまろんは強く思います。

最近は親の幼稚化が進み、子の「勇気」や「覚悟」の方がもしかしたら
目にすることが多いのかなと思ったりもしますが、今こそ親の「勇気」や
「覚悟」が求められているのではないかと思います。
posted by まろん at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月04日

親の心子知らず、子の心親知らず~後編~

昨日の「親の心子知らず、子の心親知らず~前編~」の続きです。

親子の断絶というのは、何も前編で記載したようなことだけではありません。
例えば、
①子が連れてきた結婚相手への反対
②子の家出
③子の交友関係
④子の成績不振
などなどにより、親子の断絶は発生します。

親は子にできる限り平穏な人生を送ってほしいと願うようです。
特に自分が波乱万丈な苦難に満ちた人生を送っていると一層そう思います。
自分と同じような苦しみを味あわせたくないと。。。
一方でできる限り社会的に高い地位についてほしい、とかお金を稼げる人に
なってほしい、とかそういう人の配偶者になってほしいとか、そういう「期待」を
かけます。

子はできる限り親の「期待」に応えたいと思います。
一方で親が「期待」することとは別に人生を歩む中で自分で見つけた「夢」を
追いかけたいと思います。
たとえそれによって人生を踏み外したとしても、、、、。

人生は「運命」によって導かれるものであって、出会う人や遭遇する事物など、
我々の能力やスキルや経験ではどうしようもないことによって左右されます。
だから、親の「期待」や子の「夢」がそう簡単に実現できるものではないのです。
もちろん努力によって、その可能性を極限まで高めることは可能でしょう。
しかし、そういうものを超越する何かが残念ながらあるようです。

そういう中で親の、子のあるべき姿というのはどういうものなのでしょうか?
結論から言えば、やはりコミュニケーションになるでしょう。
親子間でどれだけ率直にコミュニケーションが取れるか?
そこが一番重要になると思います。

ただ、コミュニケーションが取れたとしても意見の対立が生じることは
多々あるでしょうし、親子の断絶はコミュニケーションによって発生する
ことも多々あります。

であれば、どうしたらいいのか?
私は親は子の最後の砦の存在であることが最も大事だと思っています。
②のように犯罪行為を行うようなことは、予めしつけ、教育しなければ
なりませんが、それ以外については親としての意見をしっかり伝えた後は、
何が起ころうと、どれだけ子が不幸になろうと、どれだけ苦しもうと、
どれだけつらい思いをしようとも、子が選択した道を好きなままに歩ませ、
すべて任せておく。
そして、仮に子が失敗し、自分の過ちを理解したら、その段階で、最終的に助け、
抱擁できる、そういう最後の砦であるべきだと思っています。

どれだけ心配だったとしても、子を信じ、子の選択を尊重し、干渉しない。
しかし、その選択が誤っていた場合に、それを理解し、許し、守ってあげる。
そういう強い意志を親が持つことが最も重要であると私は思っていますし、
そうありたいと思っています。
ただ、それだけの強い意志を持つには、それだけの「勇気」と「覚悟」、
そして「責任」が必要でしょうね。

ちなみにこれらの条件ではまかないきれない親子の断絶、
例えば親の離婚や不倫など、もありますが、それについては、
またいつか書いてみたいと思います。
posted by まろん at 02:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする