2010年09月24日

時代の変遷の中で、、、~第1章「中国依存体質からの脱却」~

我が国は戦後65年を越え、現在までに様々な時代の変遷を経験してきました。
特に大きな変遷の出来事といえば、
1989年の我が国の昭和時代の終結。
東西冷戦の終結。
北朝鮮による日本人拉致事件の発覚。
アメリカで初めての黒人大統領の誕生。
幾度にもなる中東戦争の勃発。
イラク戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争。
EUの誕生。
スーダン紛争、大虐殺。
中国の台頭。
金融危機。
などなど、書いていくと本来の記事がかけなくなるぐらいの出来事が起こり、
またその出来事から新たな大きな出来事が起こってきました。
そして、当然のことながら、今もなお、様々な変遷を繰り返しています。

今回のまろんブログでは、このような時代の変遷の中で、
我が国の生活や意識の中に定着しつつある様々なことについて、
できる限り「真実」に基づいて、
今後の未来について、まろんなりのアイデアや創造を提言したいと思います。


まずは経済面についていくつかの提言をしたいと思います。
ちなみに、経済面の最初の提言は「円高の経済社会を創造していく」の記事です。

【1】戦後の世界経済を支えてきたアメリカが、冷戦に勝利した
1989年を境にして、その勝利に浮かれて調子に乗ったから
なのかどうかはわかりませんが、それまでの物づくりを基礎とした
経済から、言わば数字だけ、上っ面の金銭のやり取りによって
収益をあげるという金融経済構造に変転したことによって、
内実はアメリカはリスクを抱え、蓄積し続けていました。
そして、それが2008年に、過去に類を見ない甚大な金融危機をもたらし、
経済はどん底にまで疲弊し、失業率は10%台、中国依存経済、
ドルの信用の失墜という事態に陥り、未だその解決の道筋自体
見えていません。

そして、現在のようなグローバル社会においては、アメリカを
震源地とした経済危機であっても、瞬く間に世界経済にまで
影響を与えることになり、アメリカ経済に依存し、またドルを
基軸として動いてきた世界経済は、当然のことながら
その影響をもろに受け、一致団結して?大不況に突入し、
我が国も含めて世界的に経済は不況にあえぎ続けています。

そんな中で現在の世界経済は、全体的に二つの大国に
依存することになりつつあります。
それが中国とインド。
いずれも飛躍的に経済を成長させ、経済状況が良いことで
依存度が高くなっているのですが、しかし世界経済が特に
着目しているのは、人口を含めた圧倒的な需要の大きさでしょう。
中国は14億人以上、インドは11億人にも達する人口を抱え、
それが経済の発展によって、需要層の拡大につながっているため、
先進国では売れなくなっているブランド品などを含めた商品の
供給先として、これらの大国に移転しているのです。

もちろん、周知のとおり、給与等を含めた人件費、設備費等のコストが
低く抑えられるというメリットなどによって、中国については先進国から
製造設備関連の膨大な投資が実施されたこと、
一方、英語を得意とし、プログラム開発等を得意とする技術者が
豊富で、当然人件費等のコストも低く抑えられるというメリットなどによって、
インドについては先進国から膨大なIT関連投資が実施されたことが、
これらの国家の経済発展を下支えしているのは事実ですが、
現在におけるこの両大国は、特に経済が成熟しきってしまった
先進国にとっては、非常に重要な鍵になっており、
まさになくてはならない存在であるということもできると思います。


しかし、これらの国家に依存し続けている現状に問題はないのでしょうか?
リスクはないのでしょうか?
特にカシミール地方での紛争を抱え、またパキスタンと核関連の
争いを続けているリスクはあるものの、一応の民主主義社会を
築いているインドはさておき、
共産党による一党支配の下で、一党独裁国家である中国に
これからも依存していくべきなのか?しても良いのか?
仮に依存している状況を脱するとしてその方法はあるのか?
これらの国家の代替となれる国家はないのか?
今回はこれらの点について、事実関係とそれに基づいたまろんなりの
考えを書いてみたいと思います。

⇒現実の話として、中国が莫大な需要を持っている国家であり、
我が国国内で需要が低迷し、物が売れなくなっている現状を踏まえると、
また金融危機に端を発し、米国、EUなどについても需要が低迷している
現状を冷静に、客観的に見てみると、少なくとも人口が多い中国市場は
物を売りたい日本企業にとっては魅力あふれる市場であることは
確かですし、世界経済における中国が占める重要さは日増しに増えています。

しかし、まろんは、このような状況は、早ければ来年まで、
遅くても2,3年以内の一過性のものであると考えています。
逆に、中国に依存しすぎている状況にある中で、
この一過性のリスクが現実のものとなり、中国が破綻してしまった場合に、
我々は今までに体験したことがない、アメリカ発の金融危機を超える
非常に危機的な経済不況が発生する可能性もある、
いやその可能性が非常に高いのはないかと考えています。

その前兆なっている「真実」が、中国国内で昨年あたりから乱発しているストライキによる
賃上げ交渉や、徐々に始まりつつある外国資本の撤退の増加、
我が国にとっては理解を超えるチベットやウイグルなどの人権問題
などに現れてはじめています。
ストライキの問題は、中国の人件費がもはや途上国のレベルを
超えており、中国に資本を投下するメリットが喪失していることを意味し、
つまりは人件費の安い他国への移転への動機付けにもつながり、
そして中国の成長の停止を予兆させます。
このことは徐々に始まっている外国資本の撤退にもつながっているように考えます。

中国は、周知のとおり民主主義によって成り立っている国家ではなく、
中国共産党という政治団体?でもある政党によって独裁的に
支配されている国家であり、
中国共産党のルールや考え方、基準によらないこと、利益にならないこと
については、それが事後的であっても、すべて覆されることもある国家でもあります。
人権問題については、そもそも外国人を含め、自国民であっても
中国共産党のルールや考え方、基準に因らないこと、利益にならないこと
については、人権さえも無視されてしまうということです。

この他にも、契約というお互いの決め事さえ誠実に守られる保障がないことや、
チベット問題、ウイグル自治区の問題等からも明らかなように、
現在に至っても、人権問題に重大な懸念があり、表には出ていないものを含め
多くの虐殺が起こっていること、
地方都市においては、あまりにも権限を持ちすぎている首長によって
経済を含めて独断専行的な権限の行使が乱発されていること、
(たとえば一方的な労働条件の変更を含めた契約条件の変更や
中国に有利な取り扱いの強要など)
そして、我が国にも被害者を及ぼした毒入り餃子事件のように、
このような支配体制に対する不満分子があふれ、テロ行為をする人々、
そうならざるを得ないような人々、国家によってそうするように誘導された
人々が多く存在していること、
等多くのリスクを抱え込んでいる国家であり、
これらのことを総合的に冷静に、客観的に見る限り、これからも引き続き
同じように成長していくとは考えられませんし、我が国はできる限り
早期に中国への依存体質は脱していくことが、我が国にとって
正しい道であるということ提言したいと思います。

そのシナリオを完成させ、それを実施するまでの時間はそれほど多くありません。
幸いなことに、中国の代替となる民主主義国家はアジアにあふれています。
インドネシアやベトナムをはじめとして、タイ、インド、マレーシア、
その他にもウクライナや東ヨーロッパ諸国など、我が国の技術力、
資本力、能力を生かすことで、より友好的な代替国となれる国は
たくさんあります。
近年の世界的な中国依存体質、それが正しい、その道を進んでいれば
大丈夫なのだという先入観や間違った思い込みを脱却して、、
新たな道を切り開くことこそが、成熟した我が国の経済にとっての
最大の使命であり、進むべき道であるようにまろんは考えます。
posted by まろん at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月07日

円高の経済社会を創造していく

まろんは経済学に関する知見は乏しく、ブログでも経済に関する
記事はあまり書いたことがありませんが、
経済に関する最近のニュースについて、私見を書いてみたいと思います。

証券取引における株価の上昇や下落といった動向によって、
たとえば株価が低下すると不景気への突入とか、
景気の減速や停滞と言われたり、
株価が上昇すると不景気を脱したとか、
景気が回復したといわれます。

また円高円安といった為替相場の動向によって、
円高が進むと、輸出中心の我が国には不利で不景気に突入してしまうとか、
景気の減速や停滞になると言われたり、
円安だと、輸出中心の我が国には有利で好景気であるとか、
景気が回復するなどと言われます。

そして、景気が悪くなってくると、当然のことながら、
政治の無策への責任の追及や、
景気の減速、停滞の危険性を煽る声がまことしやかに
ささやかれるのが常ですが、まろんは為替相場の動向や
株式市場の動向によって、景気判断がされている現状、
そしてそれに対して過度に反応したり、
過度に不安感を持ってしまう傾向にある状況に対して
非常に大きな疑問を感じています。

もちろん、株価が下落すると、株を保有する会社や個人の
資産価値が減少しますので、その分の損失が発生したり、
円高が進むと、自動車等の商品を外国に売却することで、
成長してきている輸出産業中心の我が国にとっては、
外国で商品が売れなくなるのであるから、売上が伸びず、
その商品に関係する関連企業を含めて業績が低迷し、
景気を低迷させる契機にもなってしまうことなど、
証券や為替の動向が少なからず景気判断の一定の基準に
なっているのは否定できない事実です。

しかし、このようなことで評価できない我が国の多くの企業が
持っている固有の能力、技術、伝統、付加価値のようなものが、
存在するのも明らかであり、
単なる数字だけの動向によって、これらの価値を忘失し、
安直に景気判断をしてしまうことは、逆に
我が国にとって社会的な価値があるもの、
我が国の産業にとって非常に重要な価値を持っているもの、
我が国だけではなく、世界にとっても、非常に価値がある重要なもの、
企業が成長、発展し、永続していくために重要な理念やビジョン、
企業を構成する人々の成長や発展、安心、満足
などが失われ、本当の衰退、停滞へと進んでいるということはないのか?

たとえば、円の価値は、戦後一定期間1ドル=360円というわずかな
価値しかなく、360円ださなければ1ドル札を手にすることはできなかった。

その後社会の変節の中で固定相場制から変動相場制に移行し、
通貨の価値が相場の取引によって変動することとなり、1ドル=230円、
その後バブル景気を引き起こしたプラザ合意以降、急激な円高となり、
1年で100円以上もの大幅な円高となり、
今では1ドル=90円程度にまで、円高が進行しました。

つまり360円の時代と比較してみると、以前は360円出しても1ドル分
だけしか購入できなかったものが、今は360円出せば4ドル分も
購入できるようになったということです。

この過程の中で、産業価値の大変革があり、我が国は急激な円高に
当然のことながら苦しみ、多くの犠牲を払いながらも、
紆余曲折を繰り広げながらも、事実として一定の発展を遂げてきています。
これは、我が国が時代の変遷に対して、なんとか対応してきた結果でも
あると思いますし、我が国はそのような時代の変遷にもなんとか
対応できるだけの成熟した経済力を持っているということでもあります。

このことは、米国の金融危機に端を発した世界同時不況の中で、
ドルやユーロがその価値を低める一方で、世界に占める円に対する
価値は非常に高くなっている現実を見ても、やはり我が国の国民性や
堅実性、技術力などへの世界の信頼感というものは強く、
安定していることの証左でもあるとも考えます。

つまりは、結局のところ、我々人間が、最終的に信頼し、
人や国などがその根本に持っている土台や基礎であるのだと。


ある人の言葉にはよると、円安は一種の麻薬みたいなものであり、
それを使い続けて、依存していると、将来的な経済の発展は望めない!
という見解があるようです。
このことは中国が、これだけ経済成長を果たし、経済大国になっているにも
かかわらず、元の価値をあげずに、頑なに元安を固持して、
米国や我が国等から莫大な利益を享受していることからも明らかでしょう。
つまり、自国通貨の価値が低ければ、それだけ有利に
自国の経済の発展を実現することができるのです。

今我が国に必要なことは、円高などに動じることなく、
それらを容認した、たとえば円高を想定した産業構造、
社会構造の創造をしていく時期にあるのではないかとまろんは強く思います。

円高になると輸出したものが売れなくなるという課題がある一方で、
輸入するものは安くなるという長所があるわけで、
それを活用することで、その課題を解決する道はないのか?
業務上の流れを見直し、円高でも収益性がある仕組みを再構築することはできないのか?
そもそも輸出中心主義でよいのか?
輸出に依存し、他国の経済状況に依存している状況は良いのか?
国内の需要が冷え切っていって、内需の拡大は困難であるという
見解が多く見られますが、本当にそうであるのか?
企業は国民の需要やニーズを本当にマーケティングできているのか?
そもそも今社会的に通用しているマーケティングは、過去の遺物ではないのか?
今の時代に即した、次世代のマーケティングが必要とされているのではないか?
現在の社会構造、需要層、ターゲットとする客層などをしっかりと把握できているのか?

これらの質問に対して、堅実に回答を導いていくことができれば、
今あなたの会社の成長を停滞させている問題や課題は
解決し、我が国の経済は一層成熟した市場になることができるはずです。
今こそ、我が国の本来持っている勤勉さ、応用力、まじめさ、技術力などの
力を最大限発揮していかなければならないのです。
posted by まろん at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月02日

失われた10年

1990年代の10年間のことがよく「失われた10年」といわれます。
1990年代の前期はバブル景気の全盛期で、企業は土地の高騰に
浮かれ、また国家または日本銀行が土地の高騰を助長するような
施策を行ったことも手伝ったこともあり、企業としてやるべき自助努力を
怠り、楽をして利益を上げる方法を知り、それを巧みに利用することで
今までにはない利益を上げました。

一方国民は、企業の好景気とマスコミによる扇動により、いとも簡単に
自助努力を怠り、より楽をする方法、楽しいことだけにまい進し、
「めんどくさい」ことを避け続けました。
そういえば、本来勉強するために入学するはずの大学でさえ、
受験にさえ合格すれば、大した知識やスキルを身につけることもなく
卒業するサークルのような場所であったような時代でした。

バブル景気の発端となった原因等についてはこちらを参照してください。
http://www.nomura.co.jp/terms/japan/ha/bubble_e.html

その結果として訪れたのが、1990年代の後半のバブルがはじけた後の
希望をもてない、悲惨な状態です。
株価は下落し、自殺者が年間に1万人近くにもなり、日本全体が自信を
喪失するとともに、多くの悲しい出来事を引き起こした時代でした。

ちなみに、当時のまろんは、何故かバブルのあの好景気がいつまでも
続くわけではないということをなんとなく常に感じながら、
またあの好景気が人を荒廃させるのではないかという悪い予感を
常に感じながら、勉強をしていたように記憶しています。
そのことに将来価値を見出すことができるのではないかと、、、、

まろんブログでは、よく「人は弱い」ものだと書いてきましたが、
それはバブル期の日本、そしてその後の日本を見れば
明らかなのかもしれません。
戦後のあの凄惨な時代を逞しくも乗り越え、世界に対して、
自動車技術、科学技術、鉄道技術などなどの誇らしい確固とした
力を備えたにもかかわらず、ものの見事に転落した自信、
まさに驚きであり、またそれが「人の弱さ」そのものです。

さて、まろんブログでは、「過去」⇒「現在」⇒「未来」ということを
良く書きます。
今我々は、当時よりも新しい世界を生きています。
「過去」をしっかりと精査して、「現在」⇒「未来」へと
しっかりとつなぐことができているのでしょうか?
それができているのであれば、たとえどのような「未来」で
あろうと、しっかりと「現在」を行き続けることができるはずです。
人は本当は素晴らしい「強さ」を持っているのだから。
posted by まろん at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする