2010年12月21日

時代の変遷の中で、、、~最終章「経済心理学」~

前章の「時代の変遷の中で、、、~第3章「顧客満足度とは」~」では、
現代の企業活動において、「顧客満足度」というひとつの指標が
必須になっていることを明確化するとともに、
その一方で、「顧客満足度」を満たす商品やサービスが
ほとんど見られない現状についても書きました。

そして、この矛盾を解き明かすために、我々がこれから
追い求めなければならない商品やサービスとは、
○自分や家族、知人友人が満足する商品やサービスであること
○その商品やサービスに対して誇りを持つことができること
○その商品やサービスを「承継」できるものであること
○常に改良、改革を意識し、それを実行し続けること
であることも提示いたしました。

この最終章ではこの部分の詳細な説明と、「顧客満足度」
並んで、これからの経済を創造していくために
我々が知っておかなければならないこと、
常に意識しておかなければならない視点を
犯罪心理学を中心とした心理学に精通したまろんが、
経済心理学という部分を取り入れて、より深く論じてみたいと思います。


■まろんは10年以上に及ぶ社会人生活を過ごす中で痛切に感じることは、
「顧客満足度」を満たすような商品やサービスであることの大前提というのは、
そもそもその商品やサービスが、自分や自分の家族、知人友人など
自分の身近な人が満足できるものであることが、すべてのはじまりで
あると考えています。
自分の身近の人が満足できないようなものは、当然のことながら、
赤の他人である消費者に受け容れられるはずはありません。

そうであるならば「顧客満足度」の基本中の基本として
我々が常に念頭に置かなければならないこととは自分ならば満足できるか?
自分の家族や知人友人であれば満足できるのか?
自分の家族や恋人、知人友人が喜んでくれるものか?
自分の家族や恋人、知人友人が笑顔になってくれるものか?
ということをあらゆる局面で考え、そこに徹し続けなければならないのです。

つまりは、すべての「判断基準」の根源が、「顧客満足度」を満たすことができるか、あるのです。

その医療サービスに患者さんが満足されているのか?
→満足されていないのであれば、どうしたら満足してくれるのか?
今市場は何を求め、何を得たいと思っているか?
既成の商品やサービスで満たされていないものは何か?
その介護サービスが利用者に満足されているのか?
→満足するためにこのようにしたらどうか?
その商品を手にとってみたいと思うのか?
→手にして満足を感じてくれるか?
その商品に感じ入るものがあるのか?
購入して満足を得られると思ってくれるか?
そのサービスにわずらわしさや手間はないのか?
そのサービスにめんどくささはないのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・
という実際の顧客を対象として、満足度の追求をし続けることが、
今後の経済を創造し、生まれ変わらせるために必須なのです。
今すぐに、直ちに、このような考え方に基づいた商品やサービスを
構築していくべきなのです。


■自分が真に誇りを持つことができる商品やサービス、
また後進に伝え、「承継」したいと思うような商品やサービスでなければ
その商品やサービスを享受する赤の他人が、その商品やサービスに
何かを感じ、再びその商品やサービスを選択することはありえないでしょう。

確かに経済心理として、
流行っている商品やサービスへの憧れや乗り遅れへの嫌悪感や畏怖、
人が持っている商品や体験したサービスへの欲求、
人とのコミュニケーションのための需要などによって、
一過性や、物珍しさなどによって売れる(売れてしまう)ことはあるかもしれません。
また、それによって一時的な売上の向上や急成長を遂げることも
当然ながらあるかもしれません。
しかし、それは一時的なものであるに過ぎず、決して長続きするものではありません。

確かに値段を安く設定すれば、現在の、場合によっては今後も続く可能性が高い
デフレの時代には、その値段のみによって選択され、売上の向上や成長を
遂げることはできるかもしれません。
しかし、安さだけを追求し続けたとしても、やはり限度がありますし、
そもそも人は安さだけではない、付加価値を求めるという現実もあります。

「今は安さのみで選択せざるを得なくとも、いずれはより付加価値のあるものを!」
このような「希望」を常に持ち続けるのが人間の本質であり、心理でもあります。
そこに追加的な金銭の発生したとしても、それはなんらの足かせになるものではないのです。
そうなると、安さのみを追い求めていくその結果というのは、経営状態の悪化
そして、いずれ遠くない将来、経済そのものを衰退させ、取り返しがつかない
破滅へとつながることにもなるのです。


ところで、先述の経済心理をより具体化すると、
そもそも我々の正当なる経済心理として、値段の安さよりも、
ブランドへの憧れ、質の高い商品やサービスへの欲求、
安すぎる商品やサービスよりも適正な価格の商品への安心感、
安心し満足できるアフターフォローなど、
言わば企業との間の信頼に基づいた商品やサービスを選択したいという
強い心理をがあります。

このことは一時期もてはやされたPB商品なるものが衰退しつつある現実、
実質的に違いがなくなりつつあるものの中国製よりも日本製を選択する人々が多いという現実、
多少追加料金を払っても電化製品の5年保証を選択する人々が多いという現実、
多くの人が今は安価な商品やサービスを選択しているものの、いずれはブランドある質の高い商品やサービスを手に入れたいという本質的な欲求をもっているという現実、
他人よりもより良いもの、より質の高いもの、より付加価値が高いものを持ちたいという欲求を持っているという現実・・・・・・・・・・・・・・・・・
これらのことに想いを致すことでより明確になるでしょう。

そして、ここで重要なことは、値段相応の付加価値を持った商品や
サービスというのは、そこに到達するまでに積み重ねてきた人々の
誇りやこだわり、そしてそれを次代に「承継」させたいと強い意志がこめられたものであり、
その部分が顧客から安心や信頼として選択されるのだということ。

もちろん、そこに利益の追求や、皮算用等、功利主義的な部分が
あるのは否定しませんが、その基礎となる部分は
決して揺るがないものであり、今後の経済を創造していくためにも、
この部分は重要なファクターであるとまろんは確信します。


■人は現在の順調な状態や安定に対して安住し、
否場合によっては今現在が危険な状態であることを認識しつつも、
その状態からの変化や改革に鈍感であり、
否もしかしたら意図的に鈍感になり、恐れ、畏怖する習性を持っています。

しかし、そのような仮初(かりそめ)の安定した時間というのは
長続きするはずがありません。
特に現代のようなグローバル社会では、世界的な経済に占める割合は
決して大きくはないギリシャの財政破綻の影響が、全世界を
駆け巡ってしまった現実や
アジアの金融危機の影響が世界規模に影響してしまった現実、
北朝鮮による砲撃の影響で韓国の経済が急激に悪化しはじめた現実は、
もはやわが国を含めた経済大国だけが、安定していればいいという
わけではなくなっていることを如実に物語っています。

もちろん、我が国が安定しているとは決していえませんが、、、
というよりも、今度は我が国が引き金となって、世界経済を暗黒に
陥れてしまう可能性もだんだんと高まりつつあります。


さて、経済心理を含めて人間の心理として、安定を求め、
変化に鈍感であることは、先述したとおりですがしかし、
今の安定、否今だけの安定を求めるだけでは、
世界全体を含めて、凄まじい勢いで変化し続ける経済情勢の中で、
顧客が満足する商品やサービスも日々変化し続け、
顧客が満足する商品やサービスの質も高く変化し続け、
一部の業界を除いて、競合のより質の高い、安価な顧客満足度を
より充足させるような商品やサービスや参入してくる中で
それらに対抗できないばかりか、今の安定そのものを
維持することもできず、ただ呆然と転落と衰退の一途を辿るしかなくなります。
これは大いなる不幸であり、多くの悲しい結果を生むことにもなります。

今我々が追及していかなければならないことは、
常に現実否定を繰り返し、日々変化と変革、改革、
改良を推し進めなければならないということです。
日々変化し続ける顧客が満足する商品やサービスを
常に眼を配り、耳で聴き、肌で感じ、匂いをかぎ、直感を働かせ、
その変化に柔軟かつ臨機応変に対応し、
顧客が満足する質の高い商品やサービスに格上げし続け、
できる限り安価にできるように改良、改善、改革を繰り返す。
つまりは「顧客満足度」の充足に、青臭く、純粋に徹し続ける!
このことが常に問われ続けているということです。


□まろんが働いたことがある企業(既に退職済み)のほとんどが
このいずれの点にも気づくことなく転落し、衰退し、そして、
場合によっては倒産しました。

まろん自身がそこに気づいていながらも、人間心理など、
様々な理由や障害、まろん自身の大いなる力不足により、
それを止めることができず、様々な混乱や悲しい結果を
引き起こしてきたことは事実であり、痛恨の極みでもあります。

身近の企業でも同じような結末を迎えてしまった企業もあります。
そして、今や我が国の国家そのものが、経済を含めて
同じような過程
歩み始めていることも明らかになりつつあります。

戦後我が国が歩み続けてきた経済大国としての道を
今後も引き続き歩み続けるには、人間が持っている経済心理を
常に念頭に置きながら、
「顧客満足度」の充足に徹し続けた商品とサービスが創造されるかどうか、
この1点にかかっているのだとまろんは考えます。

今あなたの働いている会社が仮に転落ないしは衰退の道を
辿っているのであれば、この記事に書いていることを一度
考えてみていただけるとまろんにとってこの上ない幸せです。
posted by まろん at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月09日

時代の変遷の中で、、、~第3章「顧客満足度とは」~

戦後、高度経済成長を遂げた我が国の経済は、大量生産
大量消費社会であり、大量の所謂ブルーカラーの労働者で
構成された生産者によって、画一的な大量の商品が生産され、
それらを大量の消費者が大量に消費することで成長してきました。

この「過程」の中では、消費者がどのような商品を望んでいるのか?
どのようなサービスを欲しているのか?
どんなデザインが売れるのか?
どのような機能が求められているのか?
などということは、ほとんど検討されることはありませんでした。
なぜならば、戦後という時代背景もあり、とにかく生きていくために
必要なもの、便利なもの、それが発明され、商品として
存在することだけが求められていた時代であり、
そこに「付加価値」ようなものは必要ではなかったからです。

1950年代の3種の神器-テレビ、冷蔵庫、洗濯機
1960年以降の3種の神器-車、カラーテレビ、クーラー
などは、まさにこのような背景を如実に物語っており、
そのような機器を持っていること、その事実だけが重視されていたのです。


高度経済成長を遂げた後、バブルがはじけた1990年代、
ちょうどまろんがアルバイトや社会人としての最初の
ステップを踏み出し始めた頃になると、
我が国のほとんどの家庭に3種の神器が行き渡り、
大量生産大量消費の時代は終焉を向かえるとともに、
消費者の需要は、画一的な商品やサービスを受けるだけではなく、
多機能性や多様性を求め始め、商品やサービスも
多機能化、多様化を持ったものへとシフトし始ることになります。

この段階になると、ある意味で技術力の競争?サービス力の競争?
のような状況になるのですが、
ここで重視されるのは、以前はほとんど認識されることもなかった
消費者がどのような商品を望んでいるのか?
どのようなサービスを欲しているのか?
どんなデザインが売れるのか?
どのような機能が求められているのか?
というように、消費者がどのような需要を持っているのか、
消費者がどんな「付加価値」を求めているのかを
マーケティング活動などを通じて、把握することになってきます。

そもそも消費者である我々が商品を買ったり、サービスを受けたりするには、
消費者がそのとき、その時代、その場面、その状況で
必要としているもの、興味があるもの、流行っているもの、
今までよりも得をすると思われるもの、
損をしないもの、癒されるもの、元気がでるもの、勇気を与えられるものなど
個々それぞれの消費者が持っているニーズに合致している、
またはニーズに著しく近いものであることが必要とされます。

重複になりますが、過去の大量生産大量消費の時代にあっては、
このようなニーズはそれほど重視はされてこなかったのですが、
現在社会のように物があふれ、サービスが充実し、満たされ、
飽和している状況にあっては、このようなニーズにあっていなければ
消費者の購入対象となることもなく、支持・指名されることもなく、
企業にとっては淘汰され、消滅する道だけが残される
現在の社会はまさにこのような状況に陥っているのです。


このような状況に対応するために、最近多くの企業で言われ、
追求されはじめているのが、今回の記事のタイトルである
「顧客満足度」という一種の指標です。

「顧客満足度」とは、一言で言えば顧客である我々消費者が
企業から供給される商品やサービスに対して満足している度合い。
企業側から見れば、それは如何に消費者のニーズを的確に理解し、
如何にそれに応えるか、またニーズに応えているのか、
ニーズに応えるために何をするべきか、ということになります。

つまり、現代においては、顧客である消費者が満足度を高めることを、
企業側が常に認識しなければならなくなっていることであり、
そこを怠れば、よほどの独占的な会社でない限りは、
否そのような独占企業であればあるほど競合他社が現れると
即座に消費者の満足を得ることができず、消費者から見放され、
いずれ淘汰され、消滅するという「過程」を辿ることになってしまうということです。
この意味で、企業活動は、従来に比べ一層激しく、シビアなものに
なってきているといえますし、ちょっとした優位な立場や
一時的な売上の向上、流行によって売れている一過性の安定などに
胡坐をかいてしまうと、一瞬のうちに社会から消えてなくなってしまうことにもなります。


ところで、このように「顧客満足度」という指標が企業の活動の中に
根付きつつあるということは、消費者側にとっては非常に望ましいこと
ではあります。
何故ならば、我々が満足するような質の高い商品やサービスが、
アフターサービスを含めて、満足できるような適正な価格で
提供されることになるからです。
しかし、一方で、このような方向性は、企業にとっては、かつてないほどの
コスト体質を生み出す危険性を多分に秘めており、
経営体力を維持するという点でも、企業活動は非常に難しく、困難を
極めつつあるのですが、その反面、これはこの記事の趣旨に反しますが、
逆に考えてみると、国内ニーズに対して、このような難しい舵取りが
必要であるならば、グローバル社会が進んでいる現代にあっては、
そのようなことを考える必要がない海外等のマーケットに供給先を
変更するなど、わが国の市場自体が見放されていく可能性もあると
いうことにもなりかねません。
つまり、東南アジアやアフリカなどの発展途上国のように、
かつての我が国のように、余分な?「付加価値」を求めない市場にだけ
商品を供給していくという方向性もあるということです。
この点に着目すると、いずれ我が国の企業の中に我が国の市場を
見放すような企業がどんどん現れる危険性もあることは、
冷静に見ておく必要があるように思います。


さて、ここまで見たとおり、現代の企業活動において
「顧客満足度」という指標を
常に意識することがある意味で必須であるとはいえ、
そうならざるを得なくなっているとはいえ、
またその方向で走り始めているとはいえ、
企業もそのような研修や意識付けに取り組み始めたとはいえ、
真に「顧客満足度」の向上、実現を追求した企業活動が
行われているのかといわれれば、実は否定的に解さざるを得ません。

もちろん、ほんの一握りの企業は、このような視点で企業活動を行い、
しっかりとした足取りで、利益を上げ、社会的責任を果たしていますが、
しかしほとんどの企業は「顧客満足度」の向上、実現という看板を
掲げてはいるものの、内実はそのような「めんどくさい」こと、
手のかかること、わずらわしいこと、を行いたくはないという
人間が本来持っている?本能のようなものに忠実にしたがって、
また保守的、既得権益的なものなどによって、結果的に
「顧客満足度」の向上や実現には程遠い商品やサービスが
提供され続けているというのが現実です。

このことは、実際に商品やサービスを選択されるまろんブログを
お読みいただいている方が、実生活の中で感じられているのでは
ないでしょうか。
また、実際に企業で業務を行っているまろんブログを
お読みいただいてる方の中には、そのような状況をもどかしく
砂をかむような思いで日々の業務に携わっているかもしれません。
ここに実は大きな矛盾が発生しています。

つまり、「顧客満足度」という顧客のニーズを常に意識した
商品やサービスが供給されることが必要不可欠であるにもかかわらず、
「顧客満足度」を満たすには不十分な商品やサービスしか
供給されていない矛盾。
現在の経済の停滞、先行きの見通しがたたない不安定な状況の
根源的な問題は、この矛盾によっているということもできるかもしれません。

では、どのようにすれば、「顧客満足度」を満たすことができる商品や
サービスが供給できるのか?
その基礎となるものは何なのか?

それは次の3つの基本原則にあるとまろんは考えます。
○自分や家族、知人友人が満足する商品やサービスであること
○その商品やサービスに対して誇りを持つことができること
○その商品やサービスを「承継」できるものであること
○常に改良、改革を意識し、それを実行し続けること
これらを自らに問いかけながら、商品やサービスを開発し、
供給することができれば、自然と「顧客満足度」を満たすことができます。


この3つの基本原則の詳細と、これからの経済を考えるにあたって
もうひとつの重要な指標となる「経済心理学」について
最終章で書いてみたいと思います。
まろんブログの経済論の集大成になる記事になる見込み?(笑)です。
posted by まろん at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月03日

時代の変遷の中で、、、~第2章「これからの経済にとって必要な人材とは、、、」(前編)~

※この記事は「時代の変遷の中で、、、~第1章「中国依存体質からの脱却」~」の続編です。

前章では、現在社会が、時代の変遷の過程の中にあることと、
そしてその過程の中で根付いてしまった中国依存体質についての
問題点とこれからの対策について書きました。
今回はこれからの我が国の経済にとって必要な人材について、
これまで我が国の経済が求めてきた人材と、
そこに存在する問題点を含めて、論じたいと思います。

ちなみに、前章で中国依存体質からの脱却という記事は、
先月発生した尖閣諸島の問題の影響があったのか?
経済社会も中国依存体質を脱却することの必要性を
強く感じられたためか、非常に多くのアクセスをいただきましたが、
前章の記事は、尖閣諸島の問題によるものではなく、
現在の経済社会を冷静に、客観的に見た中で、書いたものです。
一応念のためです、、、(笑)


さて、我が国の経済の発展は、よく言われることでもありますが、
我が国特有の気質、まじめさや勤勉さ、我慢強さなどの性格を持った
先人の方々によるたゆまない努力と働きによるものであり、
その成果として、我が国は、戦時中に世界中の人々を驚嘆し、
恐れさせたのと同じような高度の技術力、経済力、応用力、
団結力?を身につけ、世界において我が国無しでは経済を
語ることができないほどの確固たる地位を築くまでになりました。

このような戦後の目覚しい発展は、石油危機等の何度かの
不況は経験したものの、1989年までのバブル景気までは継続し、
高額の美術品を買いあさる日本人が発生したり、
「Japan is No.1!」という自信に満ち溢れたような銀行員が
ウォール街を闊歩するなど、世界で恐れられる存在として君臨していたのです。
ちなみに、これはわずか20年前のことであり、今では当時
発展途上国のどん底にあった中国やインドが世界を先導する地位にあり、
世界経済の動きの早さを実感するところでもあります。

しかし、1990年に始まった「失われた10年」と呼ばれる
大不況をきっかけとして、我が国の経済はあっけなくその絶大な
経済力に対する自信を喪失してしまい、
そこから幾分改善が見られた時期はあったもののは、
未だ完全には抜け出せない不況のさなかを漂っているのが現状です。

では、何故、我が国はこの不況を抜け出せないのか?
それは「失われた10年」の記事で詳細に書いたのですが、
簡潔に言えば、我々日本人が持っていた気質を失ってしまったこと。
そこに尽きるのだとまろんは考えます。

つまり、人であろうと、人が密接に生活している地域であろうと、
国家であろうと、会社であろうと、その基本とする、基礎となる
確固としたものは、決しては変えてはならないし、
変わってはならないものなのです。

元来我が国の気質は、前述したような素晴らしいものですが、
その大切なものをほとんどの人が忘れてしまい、
楽な道を選択し、
楽な方法を選択し、
自分では決断したり、判断したりしなくなり、
他人に任せてしまう道を選択し、
めんどくさいことは回避し、
本来追求しなければならないものを忘失してしまった結果が、
今現状の蔓延してしまった不況の状態を打開できない基礎と
なってしまったのです。

こうなってしまうと、この状況を打開する方法について、
俯瞰的に、戦略的に見出せる人材が現れることはほとんど期待できず、
この状況を打開するために足かせとなっているようなものを
取り外せる人材が現れることも期待できず、
そもそも自らの行動や発言に対して、責任を持てる人材が
現れることすら期待できない、、、という暗澹たる現実に
直面してしまうのです。

しかし、実はこのような人材を生み出さないこと、
このような人材を望まなかったこと、
つまりイエスマンのような人材だけを望んできたこと、
このような人材を育てなかったこと、
このような人材を育てようともしなかったこと、
こそが我が国の重大にして、致命的な問題でもあったのです。


ただ、確かに現在の我が国は膨大な借金にまみれ、
それを打開する道を未だ見出せない状況にありますが、
しかし900兆円にも及ぶ膨大な借金を抱えているとはいえ、
国民個人のそれぞれの資産ではありますが、その借金を完全に
穴埋めできる、1400兆円に及ぶ貯蓄が存在しており、
少なくとも今我が国が再度経済への自信を深め、発展できれば、
即座に景気の回復、中長期的な安定した地位を維持することが
できるだけのしっかりとした経済的な基盤は持っています。

では、我が国が経済的な自信を深めるための施策として、
まろんが提案したい方法は以下の2つです。
(1)根本的な我が国の国民の意識の回帰
(2)大学における教育改革、大学の位置づけの変革

詳細は後編に続きます。
posted by まろん at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする