2017年02月01日

脱出!!

1/31
先日記事にしたとおり、温情によって設定していた
2/18の退職予定日から大幅に前倒しし、この日をもって
退職、というか脱出?(笑)しました。

まろんが登録している会社と、その派遣先企業の
怠慢と混乱、無能さに、完全に巻き込まれ、
一方的な犠牲者で、かつ被害者でもあるという事情から
1/31の時点で来月2月1日以降の契約書にサインを
していないというチャンスを活かして、契約書にサイン
しない旨明確に伝えて、なんとか脱出に成功したのでした。

長期契約で何度も更新している場合は、
異論があるケースはあるのですが、
まだ1ヶ月だけの短期契約であることもあり、
契約書の形がなければ、どんな法的な責任も
負いませんので、禁じ手ではありますが、
正攻法で逃げ切りました。(笑)

こういうときに法律の経験や知識は活かせますね。
ただし、当然のことながら主張をしっかりとして、
いずれも納得の上で、ある意味では円満での
退職となっています。

それにしても、派遣先企業は我が国を代表する
IT企業というのだから、我が国の経済の
未来を暗示するような、暗澹とした気持ちにもなります。。。


ただ、まろんは既に新しい仕事に向けて、
進みはじめています。
勤務開始日は当初予定は2/20以降でしたが、
前倒しも可能性なので、そこは調整するとして、
今日から数日間は念願の、楽しい楽しいお休みです~!!

まさに地獄から天国へと世界が変わるように
まろんの人生が再び輝くときがやってきました。(笑)
posted by まろん at 08:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月07日

司法の崩壊~なぜ被害者は癒されないのか?~-第二章-

※この記事は「司法の崩壊~なぜ被害者は癒されないのか?~-第一章-」の続編です。


「司法の崩壊~なぜ被害者は癒されないのか?~-第一章-」で書いたように、
わが国の刑法やその後の刑事訴訟手続きは、被害者感情や
被害者の立場などを想定したものではないために、加害者が
刑法に基づいて立件され、刑事訴訟法等に基づいて、起訴され、
裁判にかけられ、判決に基づいて刑務所等で矯正されるという
すべての過程で被害者が登場する機会はほとんど存在しません。
言わば、刑事訴訟手続きとは、国家VS加害者(弁護人を含む)
の中で進められているという図式で成り立っているともいえます。

そして、ここが重要な部分ですが、このことを突き詰めていくと、
犯罪とは、結果として国家に対する犯罪なのであり、
国家自身が被害者であるのだということにもなります。
国家自身が被害者であるから、加害者を追及し、刑罰を科す権利があると。

こうなると、実際に被害に遭遇した被害者というのは、
脇に置かれてしまい、被害者は国家が加害者を追及し、
刑罰を科すための事実関係や量刑を判断するなどの
様々な意味での源であるに過ぎなくなってしまいます。

近年被害者参加制度が制定されたことによって、
被害者が法廷において被害者感情を述べたり、
刑罰についての意見を述べる機会ができましたが、
確かに従来に比較すれば前進ではあるの事実ですが、
まだまだ不十分といえます。
というのは、被害者感情を述べる場面というのは
ほとんどが加害者を重い刑で処してほしいことに
集約されてしまうからです。
しかし、それ以上に被害者にとって必要なこと、被害者に対して
しなければならないことがあるのです。
それは何か?


さて、今度は加害者の側から見てみたいと思います。
まろんブログでは時にこんな問いかけをしたことがあります。
「その加害者を死刑に処して、それによって何かが変わるのか?」
「その加害者を刑務所に追いやって、それによって何かが変わるのか?」

もちろん、加害者を死刑に処して、また刑務所に追いやって、
一定の被害者感情の充足や、一時的な社会的な秩序の維持を
得ることはできるのかもしれません。
また被害者の感情としては、加害者が適切な刑罰に処せられなければ、
人生の再開のための第一歩を踏み出せないと思っている方もいます。

しかし、そもそも自ら自殺することができないため
死刑に処してほしいがために犯罪を犯す加害者や
年齢的な問題、生活上の問題などにより、経済的に
生きていくことができず、刑務に入りたいがために
犯罪を行うという加害者が存在する近年において、
現在の法律のアプローチがどれほどの効果を持っているのか?
またどれだけ死刑が執行されようとも、またどれだけ厳罰に処しようとも、
実際に被害者にどれだけの癒しの効果があるのか?は未知数でもあります。

こうしてみてみると、加害者に対して行われている現在の法律の
アプローチが、正義を実現できるものになっているのか?
被害者にとっても、そして加害者に対しても、
法の正義を実現するためには、どうしたらいいのか?

次の結論編で書いてみたいと思います。
posted by まろん at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月05日

司法の崩壊~なぜ被害者は癒されないのか?~-第一章-

※この記事は、「司法の崩壊~なぜ被害者は癒されないのか?~-序章-」の続編です。


我が国を含めた現代のほとんどの国家の刑法は、罪刑法定主義という
原則に基づき、犯罪を構成する条件(要件)と罰則の内容をあらかじめ
法律等に明記しなければ、国民がその法律等に違反した場合に
刑罰を科すことができないということになっています。
つまり、国民がある行為を行い、他人に損害を生じさせたとしても、
その行為が法律等によって犯罪として規定されていなければ、
その行為が如何に悪質なものであろうとも、決して刑罰を科すことは
できないということです。
もちろんその行為に対して、民事訴訟により損害賠償請求する
可能性を排除するものではありません。


ところで、国家が犯罪を行った個人に対して刑罰を科すことができる根拠となる理論として、
①「目には目を、歯には歯を」という応報思考によるとするもの(応報刑論)
②犯罪の一般的な抑止効果と、犯罪者の矯正などの目的思考によるとするもの(目的刑論)
の2つがあります。
前者はたとえばAがBの腕に傷を負わしたのであれば、Bが負わされた傷と同じように
Aの腕に傷を負わせるのが刑罰である、とするもの。
後者は、犯罪を行った犯罪者に対して刑罰を科すことを周知することで、
一般大衆が犯罪を行うことに対する抑止効果となる、とする意味と
犯罪を行った者に対して、刑罰を科せば、再度刑罰を科せられることを恐れ、
再度犯罪に手を染めることの抑止効果となる、とする意味で成立するもの。

それぞれに理論的で、理にかなっているように見えますが、
近年のように死刑にしてほしいので犯罪を行ったり、
自分で社会生活を送ることができないので刑務所に入りたくて、
敢えて犯罪を行ったり、するようなケースが散見される現在の状況においては、
応報理論も、目的刑理論・抑止効果理論もいずれの理論も
まるで的外れな理論である用意感じてしまいます。
またそもそもこのいずれの理論も、加害者に対する視点に基づいて
構成されている理論であるために、最も重要な当事者である
被害者側に対する視点が欠如しており、始まりの段階で完全に
妥当性を欠いているとも言えます。

ところで、なぜ被害者側の視点が欠けていたのでしょうか?
それは、
犯罪を抑止し、犯罪そのものが発生することがなければ、
仮に犯罪が発生しても、加害者を矯正し更生することができれば、
また凶悪犯罪が発生しても死刑に処することで加害者自体を社会から
抹殺することができれば、
犯罪そのものが減少させることができるのであるから、自然に加害者を
減少させることに重点が置かれざるを得なかった、
というのが正しい理解だと思われます。

また国家等の権力統治者にとっても、社会秩序の維持・保持を重視することが
犯罪を減少させることにつながり、それがひいては今後生まれるであろう
被害者を現象させることができるのであるから、
既に被害に遭ってしまった人をどのように癒すのか?どう対処するのか?
そういうことを考えたり、政策を考えたり、救済のネットワークを
整備することの優先順位は劣後させてきたというのが事実でしょう。
特に我が国の場合は、諸外国と比較すると、著しく犯罪が少ないため、
被害者感情への理解不足や無理解等により、諸外国よりも被害者への
対応や対処についての体制不備や遅れが著しく目立っているのが現状です。

このように見てくると、刑法という法律が存在する根拠となるものの中に、
被害者の観点に基づいたものは見られず、
もちろんそこから適切な被害者への対応や対処が導かれるわけは無く、
被害者は被害に遭ったというただそれだけのために、
いつまでも癒されること無い苦悩の日々を継続しなければならず、
また場合によっては「被害者」というレッテルを貼られ、社会から
阻害され、孤立するというような状態になってしまうのです。

では、このような状態を改善し、被害者を癒すためには、
どうしたらいいのか?何ができるのか?
また被害者を癒すために必要なこととは?
次に実際の刑法の運用の部分を見てみたいと思います。
posted by まろん at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする