2020年03月27日

東日本大震災の爪跡が色濃く残る、、、

前回の記事で3/14に全線復旧した常磐線で、最後の不通区間だった
富岡ー浪江間を通過したことを書きましたが、この区間は9年前の東日本大震災の
震災の爪跡がまだ色濃く残っています

当然といえば当然で、東日本大震災によって引き起こされた
福島第一原子力発電所の事故により、立ち入りそのものが制限され、
復旧、復興を物理的に進めることさえできなかったのです

その後鉄路のルートの変更など、可能な範囲で鉄道網の復旧などは進められましたが、
人が戻ってくる段階にまで、まだ達していないというのが実情で、
人が戻ってこなければ、街としての復旧も、復興もできません

地震の被害を受けなかった品の良い一軒家も、人気がなく、ところどころ傷ついているのは心が痛みます

ただ、ここから積み重ねていくことができれば、どれだけ時間がかかっても
復旧、復興は成し遂げられます
それは先週行った石巻や女川が実証してくれています

原発事故の影響であまりにも長いブランクがあったのは、本当に厳しい現実ですが、
まろんはまろんとしてできることはやっていくことにします
posted by まろん at 16:45| 東京 ☀| Comment(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月15日

月に3回旅行に行くことになるけど、、、※文末追記しました

今月は既に実家の老夫婦を連れて伊豆へ行きました

また今月末には有給休暇を取得して、
東北・北海道旅行を計画しています


そして今回新たに来週の3連休のうち
1泊2日で東北旅行をすることにしました
場所は石巻と女川

石巻と女川は東京から近いこともあり、
いつでも行ける感があるのと、
特に石巻は仙石線と石巻線の乗り換えで
下りたこともあって、少なくとも2年ごとに
行っているのかと思っていましたが、
なんと4年ほど行っていないことに気づきました、、、

ちなみに4年ほど行っていないというのは
ブログの記事を辿っていて発見しました(笑)
ブログを続けているというと、こういうとき
便利?です(笑)

2011/3/11 14:46に東日本大震災が起こってから、
自動車を持たないまろんは、鉄道網の
復旧とともに被災地を訪れていったのですが
いわきの次に訪れた場所が、石巻でした

そのときは真夏の暑い暑い太陽の照り返しが
きつい日でしたが、
タクシーで大津波で破壊されつくした魚市場と
その港に向かいながら、
信号が破壊されて、警察官が手信号で交通整理を
しているぐらいの街中を、呆然と観ていました

また魚市場の近くでタクシーを降りて、
20分ほど散策したときの、
あの誇りまみれのひとときは、
今でも鮮明に思い起こすことができます

女川は、石巻や気仙沼などを訪れた後に
訪れましたが、語弊があるかもしれませんが、
石巻や気仙沼の惨状を認識している中での
訪問だったため、ある程度免疫があると
思っていましたが、それを完全に覆すほどの
惨状でした

特に女川駅は姿も形もなく、
過去に訪れた女川の面影はまったくありませんでした。


まろんが女川に入ることができたのが、
震災から1年経っていましたが、
その段階でも、大津波が襲った後のような
そんな状況でした。

石巻も女川も、そのどん底から本当に
徐々に、少しずつ、ちょっとずつ前に進み、
途中加速度的に復旧と復興が進み、
特に女川は信じられないぐらいの街並みに
生まれ変わってきました。

ただ、それでもまだ避難生活を
余儀なくされておられる方々が
たくさんいる、現実もあります。

来週は再び石巻と女川を訪れて、
まろんができることをやってくることにします

それにしても実家への帰省ぷらす旅行、
ということで、月2回の旅行はありますが、
月3回の旅行って、人生はじめてになります。

伊豆旅行でも結構な出費になりましたが、
まろん財政は大丈夫でしょうか?(笑)
posted by まろん at 12:44| 東京 ☀| Comment(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月09日

あの日から9年になります、、、

2011/3/11 14時46分

この数字は我が国の国民として、
決して忘れることができない数字です

当時大阪の実家に暮らしていたまろんは、
小旅行で関西国際空港を訪れており、
関西国際空港をぶらぶらとしてから、
帰路につき、列車で連絡橋を渡って
本州に入ったころにそれはやってきたようです

やってきたようです、と書いたのは、
列車に乗っていて全く気付かなかったためです

まろんがはじめて異変に気付いたのは、
列車の運行情報で、めったに運休にならない
東海道新幹線が不通になっており、
それも全線で不通になっていたからです

これはただ事ではないことが起きたと察知し、
ワンセグ携帯で、大津波の様子などを
呆然と見ていました
というか、見るしかありませんでした。

まさに映画のワンシーンをひたすら見ている
そんな感じでした。

そして不謹慎ながら、
やっぱりウルトラマンは
いなかったのか、
と思ったそんなことも記事で書きました


未だ行方不明の方々を含めると20000人以上の
我が国の同胞が犠牲となった、
たった9年前に起こった激甚災害


それから明後日で9年が経過します

その間大阪にいるときも、東京に引っ越してきてからも、
時期を見ては年に数回は被災地を訪れ、
このブログで被災地の状況や様子を書いてきました

各被災地で向き合ったその現実は、
生やしい現実世界で生きてきたまろんの想像など
遠く及ばないほどに超越した悲惨さと惨劇で、
まさに「絶望」感しかありませんでした。

しかし、何度も被災地を訪れるたびに、
最初はかすかな、そして徐々に大きな「希望」
を感じはじめ、だんだんと復旧、復興が進んでいく
その現実を垣間見てきました

それは人間の、我が国の国民の、東北の人々の
「弱さ」と「強さ」、「優しさ」、「慈しみ」
その偉大な力によって実現されたのだと、
まろんは考えています。


さて、そんな積み重ねの歩みはこれからも続きます。

昨年の9月には同じく北海道・東北旅行で
北は八戸から東日本大震災の被害が大きかった
太平洋岸を、JRと三陸鉄道、JRのBRTで南下し、
久慈、宮古、釜石、大船渡、陸前高田、盛、
気仙沼などを観てきました。

大船渡には宿泊して、街の復旧、復興の様子を
しっかりと観て、聴いて、感じて、匂って、
触って、味わってきました。

今月末には東日本大震災で寸断された
鉄道網の、最後の不通区間であった常磐線の
富岡-浪江間が3/14に復旧し、全鉄道網が
完全復旧することを確かめるべく、
東北・北海道旅行に行くことにしています


今回は太平洋岸の被災地を訪れる予定はありませんが、
仙台あたりでの経済活動などを通して、
被災地を支援するとともに、
再度改めて昨年訪れることができなかった
石巻、女川、志津川を訪れようと考えています
posted by まろん at 22:47| 東京 ☀| Comment(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする