2019年01月18日

1995年1月17日から24年が経ちました、、、

その日その時間
まろんは大阪の実家で深い眠りの最中にいました。

まさか大阪で大きな地震があるとは
まったく思いもしなかった当時

5時46分に発生した地震は、
今まで経験したことがない揺れではあったものの、
当時眠りが非常に深かったまろんは、
ほとんど気にすることもなく?
1分ほどの揺れがおさまったら、
再び眠りについたほどでした。

ただ、なんだか異常な違和感を感じて、
飛び起きると、いつも棚の上に置いている、
ラジカセが床に落ちていたり、
様々なものが動いているのを確認しました

それから台所に急いで向かうと、
食器棚は横転、ガラスや陶器などは
割れて散在し、見るも無残な状態になっていました。

ちなみにそのラジカセが落ちていた場所は
まろんがいつもは枕を置いて、
眠っている場所で、たまたま当日は
逆向きで眠っていたというなんとも
奇跡的な巡りあわせだったのでした。

あわててテレビをつけると、まだ時間が
経っていないことと、今ほどに情報の
収集や発信が発展していなかったこともあり、
それほど大したことが起こっていないかのような
雰囲気で、少し安心した記憶があります。

しかし、その後は皆様がご存知のとおりの
戦後はじめての都市圏での大規模な地震災害
であったことが判明したのでした。

ちなみに当時のまろんは高校卒業後
大学受験浪人2年目で、その地震が起こった
翌月には神戸大学の受験を控えていました。


阪神淡路大震災の発生により、
我が国のかけがえのない同胞の多くの人々が
その尊い命を失ったことは慙愧にたえません。

ただ、地震そのものによる被害であれば、
天災ということで、自らを納得させることが
できなくはないのかもしれませんが、
戦後の我が国が辿ってきた歩みの中で
危機管理という観点が著しく欠如していたために、
危機への対応力のなさ、未熟さ、
危機管理に関するそもそもの制度の欠陥、
今では当たり前になっている自衛官の援助が
戦後の異常でかつ異様なイデオロギーによって、
ほとんど得られなかったことで、
助けることができたはずの我が国の同胞達を
助けることができず、むざむざ犠牲者として
しまったことは、戦後の我が国汚点でもあり、
戦後の我が国の最大の欠陥を露呈してしまった
そんな震災だったともいえます。

果たしてその後我が国は危機管理への対応が
ある程度は整備されることになり、
東日本大震災での自衛隊の活躍と尽力は、
まだまだ制度的に不備や不足があったとはいえ、
阪神淡路大震災から改善されたという点では
「過去」に学んだということなのかもしれません。

阪神淡路大震災、、、
それはまろんにとっても、危機管理ということに
相当な意識を向かわせた、そんな災害で
あったといえます。

24年経った今でも、被災者の方々のご冥福を
心から、変わらず祈っております。
posted by まろん at 00:01| 東京 ☀| Comment(0) | 災害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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