2014年10月25日

腐った国民が腐った政治家を生む

先日新たに大臣になった2人が辞任しました。
それも死刑でさえも命令することができる法の番人と
いうべき法務大臣と
世界第三位の経済大国である我が国の経済を
司れる立場にもある経済産業大臣という大臣で、
現実は小説よりも奇なり、とはいいますが、
まさにその言葉がぴったりと合った出来事でした。

前者の法務大臣は、まろんが以前押上錦糸町近辺に
住んでいた際の選挙区にあたり、今だから書けますが、
明らかに政治家としての資質に著しく欠けるということを
直感で感じたものです。
そのため、あの2009年の政権交代の衆議院選挙のとき、
民主党を選択しようとは思ってはいなかったものの、
その人を選択するわけにはいかず、また当時の自民党は
明らかに腐っていたこともあり、まあ1回民主党にやらせて
みてもいいのかな?という妥協の産物として、
民主党に投票した結果、政権交代が起こり、
その結果、その後発生する東日本大震災→
政治の稚拙による2次災害、3次災害
という甚大な被害の引き起こしました。

このことはまろん自体の責任でもありますが、
まろんが当時思ったとおり、その人の資質には
明確な問題があることが表面化したことになります。


さて、後者の経済産業大臣ですが、この人のことを
考えていた際に、まろんの昔のちょっとした出来事を
思い出してしまいました。

高校1年生の文化祭のとき、まろんはクラスの催しの
メンバーとして、色々と準備をしたり、当日は催しの
係員として、動き回っていました。
その催しには、当然お金がかかるので、クラス全員から
千円ぐらいだったと思いますが、徴収し、その催しの
費用として使いましたが、最終的にそのお金が少々
余ってしまいました。
催しのメンバーは10名程度だったのですが、
先生にどうしたものかと相談したところ、
先生としてはおそらく頑張っていたことの成果?見返り?
として、おそらく善意の気持ちで、その程度のお金だったら、
ジュースでも買ってメンバーで使ったらいいんじゃないかと
いうことを言われたので、私を含めたメンバーは、
ジュースを買って、メンバーだけで使ったのですが、
まろんとしては若干違和感が残ったのを覚えています。
おそらくは、花でもいいので、クラス全体のための
何かに使うべきだったのでしょう。
こうやって、ブログで書くぐらいなので、それは結構
強い違和感だったと思います。


おそらく今回の辞任のきっかけとなった様々な行事、
出来事の中で、経済産業大臣の周りにいた人たち、
そのとりまき、そして彼らから接待を受けていた人達も、
それほど深くは考えず、軽い気持ちだったのではないか
とまろんは思います。

根元は税金という自分の腹が痛まないお金だから、
(彼らも一応税金は納めているとは思いますが、、、)
自分のために、自分達の利益のために、
経済産業大臣を当選させることで保持できる既得権のために、
地元で大きな顔をして、影響力を維持するために、
使っても、別にかまわない、
否、もしかしたら、経済産業大臣を当選させなければ、
自分達の明日はない、惨めなものになるのだから、
金で票を買わなければならない、ということだった
かもしれません。

一方で、接待を受ける方も受ける方で、根元は税金で、
それを納めているという困った自意識もあるのでしょうが、
ちょっとぐらいは自分達が得してもいいのではないか、
という意識だったのでしょう。
否、もしかしたら、票を入れてやるのだから、接待ぐらい
普通で、接待しないのだったら、別の候補者に投票するぞ、
だから金をよこせ!という意識だったのかもしれません。


結局のところ、ここにある構図というのは、損得勘定、
ただそれだけで、ただ単にお金に群がっているだけの
金の亡者のお話ということに過ぎません。
ただ、その世界にいる人達にとっては、変な仲間意識もあり、
皆がやっているから、というありふれた稚拙な気持ちで行っており、
罪悪感もないのでしょう。
よくある構図といえば、よくある構図です。

そして、そこには、政治にあるべき信念や理念、志、
国益や地域益、国民や市民、住民の生命、経済、
そういうものはどこかに飛んでいってしまっており、
本来政治に恃まざるを得ない人達の希望や願いをも
吹き飛ばしてしまっているのです。

このことは、ある意味で世界の津々浦々にあることであり、
戦前戦後に関わらず、我が国においても、変わることなく
存在していた慣習であるのかもしれません。

しかし、我が国の戦後の歩みは、その風潮を助長
させているという部分は、おそらくあるだろうとまろんは
感じます。

あの第二次世界大戦→敗戦の後、その大戦に至った経緯、
負けるとわかっている戦争をせざるを得なかったその理由を
深く掘り下げることもなく、安易に戦争は悪、
そして、自分のことは二の次にして、国家のため、家族のため、
人のため、後世の私たちのために、苦悩に苛まれながらも、
戦い傷ついた人を、まるで全てが悪者として、禁忌な人として
否定し続けてきた、所謂左翼的な考え、思想の人達に
占領されてしまった我が国は、
(本当は米国に占領されたのではなかったのかもしれません)
目の前に現れた思いがけない経済の勃興もあり、
理念や信念、志という人生の中で、人の根幹、本質と
なってくれるものではなく、先述したような損得勘定によって
自らの考えや行動を決めてしまうような存在へ、
いつの間にか転がり落ちてしまったのかもしれません。

あの生きるだけで精一杯だった戦後のことを考えると、
そのことを責めてしまうのは、心苦しいことで、
間違ってもいるのですが、しかし、既に60年以上もの
年月を経過した「現在」において、そろそろ「未来」を見据え、
愚かだった「過去」から、毅然と決別するときがやってきているのは、
間違いありません。

今回起こった問題は、そのきっかけとなることでもあります。
戦後の闇を、我々の中に眠る心の闇が光に浴びることによって、
我が国の今まで眠っていた潜在力、強さが発揮されることに
なるはずです。
今でこそ絶賛される我が国の様々な力が、なお一層大きな
強いものになることを、期待せざるをえませんね。
posted by まろん at 02:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まろん」の知恵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする