2014年05月17日

転職活動進捗状況14/5/17

前回の転職活動進捗状況14/4/20の記事から約1ヶ月を経過しましたが、
前回の記事で2社の面接について触れましたが、こちらについては、
それぞれ残念な結果になりました。

その後はGWをはさみましたので、実質的に今週5/12から
次の段階の活動になっています。
5/12には東京で人材紹介会社の面談と、5/13は派遣登録
明日5/17は神戸の会社の正社員の面接を受ける予定になっており
来週5/19は東京で派遣登録会に参加する予定です。

ちなみに、5/13の派遣登録の結果については、残念な結果でした。

それにしても、最近の転職市場はかなりの活況で、まろんの経験や
知識やスキルを生かすことができそうで、かつ魅力的な求人が
かなり多いので、正直なところ結構目移りしてしまうような状況なのです。

まろんの第一志望としては医療系の経営、というところなのですが、
そこにこだわっているのでは、もったいないと感じられるような
会社の成長性や将来性が感じられる企業も、デフレ期に比べれば、
かなり増えていて、ついつい応募してしまうような、今までにまろんが
経験してきた転職活動に比べれば、夢のような良い状況にあります。
これがもっとまろんが若い、転職回数が少ないときに訪れていたら、
と、この記事を書いていてつい思ってしまいました。(笑)

ちなみに、5/12~5/14に、東京に2泊3日で訪れていましたが、
当然のことながら、いつもの酒豪の女性達との楽しい楽しい
ランチを堪能しました。
いつもどおりの素敵な女性達で、幸せなひとときでした。
ちなみに、5/12と5/13の2日連続のランチだったのです。
いろんな意味でお腹がいっぱいで、帰阪したら1kgぐらい
体重が増えていて、今それを減らすために試行錯誤中です。(笑)
posted by まろん at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月03日

憲法論

※今日は憲法記念日なので、まろんブログではじめてですが、
憲法論を書いてみたいと思います。

最近テレビをほとんど観なくなってしまったまろんなのですが、
先日ある番組で、憲法9条をノーベル平和賞に推薦する活動について
取り上げているのをたまたま観て、ブログではあまり感情的な
表現は書かないまろんですが、正直なところ
虫唾が走るような嫌悪感と、
現実を余りに知らなさ過ぎる人々による大いなる誤解が蔓延している現状への恐怖、
戦後教育の偏りがあまりにも成功しすぎてしまっている恐怖
を感じてしまいました。

もちろん、憲法では表現の自由が認められており、
また集会の自由、結社の自由も認められているので、
このような活動を行うこと自体は、まさに自由ではあるのですが、
まろんを含めた「日本国民」を勝手に受賞対象とするような活動が
そもそも許されるわけではなく、まさに自由を履き違えた、
自己満足、自己陶酔による活動そのものであり、
それをさも素晴しいことであるかのように、取り上げるテレビも
まさに地に落ちてしまったのだなあと思ってしまいました。
これが報道番組だったというのが、ある意味で現在の我が国の
悲しい現実でもあるのでしょう。


と、まあ愚痴のような話はここまでにして、何故先述したような
感情を抱いてしまったのか、について、いつものとおり、
冷静に、客観的にみていきたいと思います。

そもそも憲法9条があるから、平和なのか?
そもそも現在は平和といえるのか?

憲法を小学生が人生ではじめて読み、学ぶ気持ちで
素直に解釈すると、憲法9条下では自衛隊は存在できませんし、
存在しません。
明らかに自衛隊は違憲になってしまいます。
陸海空軍、そしてご丁寧にもその他の戦力も保持できないと
されてしまっている以上文面どおりであれば、そうなります
ということは、我が国は警察力しかもてないことになりますが、
警察力だけで我が国を守ることができるのか?

警察力とは、社会の安全や治安を維持する能力のことであり、
他国から武力で侵略された場合は、そもそも想定されていないため、
警察力で他国の侵略から我が国を守ることはできません。
となると、あとは憲法の前文で書いているとおり、我が国以外の
すべての国は誠実で、他国に争いを好むような国はなく、
素晴しい国々ばかりなので、侵略されるなんていうことはないと信じる、
というのが、我が国の取ることができる唯一の防衛ということになります。

確かにあの第二次世界大戦で、戦前戦中のすべての悪と負の部分を
不当に負わされてしまった我が国の立場からすれば、我が国以外に
悪い国はないということになるので、一切の武装をせずに、他国を信じよ!
という解釈もなくはないでしょうが、このような考えがあまりにも
愚かであることは、後ほど記述します。


さて、他国が武力で侵略してきた場合に、警察力だけで我が国を
守ることができないとなると、米国などの他国に駐留してもらって、
守ってもらうしかなく、事実現在そうなっているのですが、
とすると、今ある平和な状況というのは、まさにこのこと、
つまり米国が駐留していることによって守られているのであり、
そもそも憲法9条があるから守られているわけではありません。
憲法9条があるから平和なのではなく、米国が駐留してくれているから
平和なのです。



ただし、この部分に関しては、
憲法9条がない→米国に駐留してもらえない→平和を維持できない
→だから憲法9条の存在が大きく、やはり平和に寄与している
という解釈も成り立ってしまいますが、その場合、
○米国が自分の国の若者の命をとして、我が国を本当に守ってくれるのか
○我が国の防衛をそうやって他国に一方的に任せてしまっていいのか
という大いなる問題も発生します。

現在の我が国には警察力だけではなく、自衛隊という世界でも
随一の戦力を持っており、絶大な自衛力を持ったことで、
このような問題を解消しているとともに、米国と協調して、
平和を維持できている一因を担っているですが、
それは、先人達の危機管理能力や危機意識、リアリズムに基づいた
判断と決断により、安保条約が締結されるなど、憲法9条を
ぎりぎりのレベルで解釈しながら、確立されてきたものなのです。

おそらく憲法9条を守ろうという活動をして、平和を守ろうと
されている人は、安保条約締結に反対していた人たちと
思想的に共通するのではないかと勝手に思っていますが、
まさに我が国の平和を害する活動をしている、ともいえる
のではないかと思います。

さて、この現実に直面して、なお冒頭のような活動ができるのでしょうか?


では、次に今の社会は平和なのか?
う~~ん。確かに平和のようには見えます。
最近で言えば、シリア、ウクライナ、ロシア、中国、アフリカ諸国などの
状況に鑑みると、我が国の戦争とは隔絶された平和な状況は
特筆に値するものといえるでしょう。
それは世界に誇れるものともいえます。

しかし、何か重要なことを忘れていないでしょうか。
我が国の1億人を超える人口と比較すればほんの一部で、
そんな人たちはどうなってもいいという気持ちがあるのでは?
と疑いたくなりますが、我が国には人命に関わる重大な問題が
あります。それは北朝鮮による拉致問題です。

あろうことか、国連にも加盟している国家が、国家の戦略として、
我が国の国民を拉致、誘拐するという国家犯罪を戦後実践し、
国家により認定された人以外の人を含めると、何百人という人を、
連れ去ってしまったのです。
彼らがそもそも生存しているのか、どのような待遇におかれているのか、
どういう扱いをされているのか、想像するだけで体が震えます。
この問題が今もなお解決していない状況において、
我が国が平和だ、なんてことを私は恥かしくて言えません。

また、実はこの問題は、ただ単に我が国の国民が誘拐、拉致された
ということだけではなく、それを援助し、手助けした我が国の国民を
含めた活動家が、なんの制裁も受けることなく、未だ我が国で暗躍し、
今なお新たな活動を模索している可能性さえある状況にあり、
第二次世界大戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争のような
爆弾や弾丸が飛び交うような近代的な戦争とは形を変えて、
ある意味で新しい形の戦争といえるような状況で進行中でもあるのです。

そのような被害を受けた人数が、国民全体の数と比べて少なければいいのか?
爆弾が落ちてこなければいいのか?
弾丸が飛び交わなければいいのか?
そんなことでは決してありえません。
平和であるということは、我が国の国民が守られ、そして保護されている。
ということであるはずです。
そして、我が国の国民を守るため、保護するためには、他国と衝突する
可能性をも覚悟しなければならないはずなのです。
その覚悟すらないことが、こういう被害を生んでいるのであり、
その覚悟を避け続け、その全く逆の教育がされ続けてきたことが、
こういう被害を生んでいるのです。

そういう意味では、その覚悟すら阻害してしまっている憲法9条は、
ただ単に、自分に危害が加えられなければ、他の人はどうでもいい!!
他国に誘拐、拉致された人は、かわいそうだなあ!!
自分や自分の家族でなくて良かった。良かった!!
という戦後の我が国に蔓延している事なかれ主義、利己主義に
相通ずるものであるようにも思います。
そしてそれは、「今そこにある危機」にさえも、無防備に目をつぶってしまう
我が国の戦後体質にも相通じてしまいます。


憲法9条について、確かに条文を見ると、美しくもあり、理想的な条文
ではあると思います。
この条文が世界に広がり、すべての国家で、この条文が憲法の
一部に取り込まれれば、それは素晴しいことであるとも思います。

しかし、理想はあくまでもただの理想であり、現実は決して
理想どおりにはなりません。
それは、すべての人が日常生活の中で、常に目の前で直面し、
苦しみ、悩み、悲しみを持っているのではないでしょうか。


例えば、先述しましたが、憲法前文を正確に読み解くと、
第二次世界大戦を経験し、世界中のすべての悪と負の部分を
背負わされた我が国と比し、我が国以外のすべての国々は
誠実で、素晴しい、正義の国家であるということになりますが、
あの東日本大震災で、我が国全体が打ちのめされ、悲嘆にくれていたとき、
ロシアや中国、韓国は、我が国の領土を脅かすような姑息な動きを
見せ続けました。
それがあくまでも様子見、で終わったのは、米国と自衛隊の
抑止力の効果が大きかったと言われています。
世界の国々は、他国が震災で弱っているからといって、かわいそうだと、
ただ単に同情してくれるわけではありません。

戦力的に弱小国のフィリピンやベトナムは、中国が戦力を拡大する中で、
南シナ海で不当な侵略を受け続け、ついには屈服されられてしまいました。
その結果、フィリピンでは米国軍が回帰しました。

平和、を追い求め、真に平和であるためには、理想だけを追い求め、
自己満足と自己陶酔で、軽薄な行動をするのではなく、
本来は、その理想と現実を、しっかりと精査し、考え、見定め、
覚悟し、行動することこそが大事であるとまろんは考えます。

もしかしたら、他国の中には憲法9条を読んで、うすら笑っている
国があるかもしれません。
つまり、理想と現実を知らない、他人まかせな子供のような愚かな国民であると。


このような見解は、何もまろんが特別な教育を受け、特殊な考えに
基づいて、達したものではありません。
まろんの父は、公務員でありましたが、残念ながら、法律の勉強に
真に携わり、その後の人生の荒波にのまれるまでは、戦後教育の
負の影響をかなりの部分受けていました。
ただ、他の人よりは、まろん父が公務員であったため、
客観的な見方で物事を判断することができたため、
戦後教育の影響は、多少は回避できた部分があったのかもしれません。

しかし、その根元となる部分は、人の素晴しい、美しい「成長」という
過程の中で、様々な悩みや苦しみ、葛藤や気づき、などの中から、
生まれ、そして確立されたに過ぎません。
とすると、今からでも決して遅くはありませんね。
まろんブログの大原則でもある、「過去」→「現実」→「未来」の
法則の中で、現実と理想の中で、何を追い求めるべきなのかを
それぞれに思い、考えていただければと思います。

その結果、冒頭の活動に参画されるのも、それはそれで
憲法で保障されている自由ではありますね。
posted by まろん at 19:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まろん」の知恵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする