2012年10月28日

2泊3日石巻・志津川・気仙沼旅行~外伝~

10/28 10/26と27にわたった石巻、志津川、気仙沼の旅行の最終日。
朝7時に起床する予定が、6時半頃に目が覚めてしまったまろんは、昨日買い出し
で買っておいたいつものスパゲッティサラダ(明太子)とおにぎり、サンドイッチを
食べて、身支度を整えたら、いつものとおり元気いっぱいホテルを出発しました。

この日は単なる帰路の行程なので、北上駅に到着すると、
北上→一ノ関→福島→郡山
とひたすら鈍行で南下し、愛しの「みかん」が待つ実家を目指しました。

郡山駅では、今回の旅路ではじめてとなる駅弁「ご褒美。福の島」を購入。
名産の牛肉や豚肉が絶品で、特に豚肉はまろんが大好きな豚の角煮風になっていて
最高に美味。
またデザートの若桃の甘露も最高でした。
駅弁にしては若干高めですが、それだけの価値はあると思いました。
まろんおすすめです。

郡山→東京
東京駅で、散策する間もなく東海道新幹線のぞみ号に乗り換えて、
東京→新大阪
新大阪からは鈍行を乗り継いで、
新大阪→大阪→鶴橋→八戸ノ里

実家に到着したら、
「みか~~~ん」ということで、2日間会えなかった「みかん」をしっかりと愛でました。
とにもかくにもかわいいんです。(笑)
「みかん」に会っただけで、楽しくもつらく苦しい想いを抱いたこの旅の疲れが
癒される想いがしました。


--------------------------
今年の年始の旅行の記事と同様に、今回の旅行のこぼれ話を何点か書いてみようと
思います。

①10/27 柳津から前谷地までタクシーで移動したことは記事に書きましたが、
親切なタクシー運転手さんと話をしていると、大阪の橋下市長の話題がでてきて、
びっくりしてしまいました。
府知事や市長になる前は、テレビ等で活躍されていたので知名度があるとはいえ、
大阪の一つの市の動向について、宮城県の地で話題になるというのは、彼への期待
みたいなものの表れということなのかもしれません。
というよりは、今回の旅行で改めて感じたのですが、今の政治があまりにも無能で
どうしようもない状態になっているということなのですが、
ただ、政治だけではなく、現在の我が国に根付いてしまっている本質的な問題でも
あるだけに、橋下氏への期待は当然としても、それだけで解決できる問題ではない
でしょう。
我々個々が、自立し、自律して、正しいことを、正しいと信じることを、正義を
貫けるような社会にしていくことを、少しずつでも進めていくことが最も求められ
ているのであり、橋下氏への期待はその一環でなければならないでしょう。

②10/28の産經新聞の記事になっていましたが、被災地で重機による労災が
増えているということです。
あれだけの被災状況で、今までにはない破壊状況の中で、重機をやりくりされて
復旧工事に携わっておられる方々が、このような2次被害といえるようなことで、
被害を受けられているというのは、正直悲しいです。
確かに、10/27に志津川を訪れると、不安定な足場で、休む間もないような
状況で、重機を操作して、復旧工事をされていましたので、その光景を思い浮か
べると無理もないようにも感じます。
まろんを含め、早く工事をして、早く復旧・復興を、と願うのは簡単ですが、彼ら
の健康や安全をしっかりと気に留め、気にかけなければならないと強く思います。
当然のことながら、防衛隊員、警察官、海上保安官、消防官、自治体職員、そして
ボランティアの方などなど、大切な、身も心も削るような業務であり任務であり、
役割を担っているとはいえ、健康でかつ安全に励まれることを痛切に願います。

③1年半、この期間を長いか短いかというと、時間感覚は人それぞれでありますが
まろんの中では非常に長い期間であると思います。
その長い期間の中で、被災地の復旧・復興の度合いというのは、非常に緩慢である
といわざるを得ないと思います。
何らかの物理的な事情により、復旧・復興を進めることができなかったなど、
それぞれの地域により事情があると思いますので、一概に断定はできませんが、
もっと早くに、今程度の復旧・復興状況であれば実現できたであろうとは思います。
より加速的に、復旧・復興が進め荒れることを願ってやみません。

④今回大阪と東京、および郡山間については、東海道新幹線および東北新幹線を
それぞれ利用しましたが、以前は特に東海道新幹線で途中で減速するような区間
が結構あり、乗り心地という意味では、少し残念に思うことがあったのですが、
車両が700系以上にほぼ統一されつつあることもあり、ダイヤが非常に洗練され、
ほとんど減速されずに最速速度で運行されているため、乗り心地、快適性が格段に
向上しているように思います。
まだまだ発展途上にあるということなのでしょうが、いずれにしても我が国が誇る
最高の技術であるといえますね。
posted by まろん at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月27日

2泊3日石巻・志津川・気仙沼旅行~後編~

※この記事は「2泊3日石巻・志津川・気仙沼旅行~前編~」の続編です。

10/27 朝6時55分に起床し、顔を洗って、身支度を整えたら、
ホテルのレストランに朝食を食べに行きました。
このホテルでは、宿泊料金の中にバイキングの朝食の料金が含まれているの
ですが、せっかく石巻に泊まっているので、どこのホテルにでもありそうな
朝食よりは、和食の朝食にしたいと思い、別料金の和朝食を食べることに
しました。

メニューはたらこ、名産の笹かまぼこ、エビと鶏肉のだんごなどの煮物、
キュウリの漬け物、さんまの煮付け、昆布、ご飯、みそ汁でした。
どれも美味しく、係の女性もまろんタイプの可愛らしい素敵な方で、快適な
朝食でした。
また、泊まりたいと色んな意味で?(笑)強く思いました。

朝食を堪能したら、自室に戻り、しばし一休みしたら、いつものとおり
元気いっぱいホテルを出発するのでした。

石巻駅に到着したら、女川方面渡波行きの列車の乗り、
石巻→渡波
渡波から女川の間はまだ復旧していないため、ここからは代行バスでの
移動となり、
渡波→女川
女川は今年3/19に訪れてから2回目の訪問となりますが、女川駅は
そのかけらすらない状態で、女川駅周辺も前回訪れた時と状況はほとんど
変わっていません。
ただ、前回崩壊状態で残っていた建物は、ほとんど取り壊されて土地は整地
され、海外線の修繕も始まっており、また海外線には漁船が並んでいるなど
ようやく様々なことが動き始めている雰囲気はありました。
また渡波と女川間のJRの復旧工事も、各地点で実施されているため、完全に
流されてしまった女川までは無理としても、途中駅までの復旧は近いように
感じました。
そういう意味では、復旧・復興に向けて、進み始めていることは間違いない
といえると思います。

女川駅が津波で流されてしまっていることもあり、代行バスは前回と同様
女川の高台にある陸上競技場などがある総合公園で下りることになります。

前回訪れたときは、この総合公園で「復幸祭」というイベントが実施されて
おり、結構な賑わいだったのですが、今回はそういうイベントがない通常の
土曜日ということで、晴天にも恵まれのどかな雰囲気が漂っていました。
とはいえ、ここにはまだ多くの仮設住宅があり、そこで被災者の方々が不便
な生活を余儀なくされており、その状況も前回と変わりませんでした。
いつになれば、本来の生活を取り戻させるのか。
女川駅周辺の光景を見ても、その道のりは容易くはないと思いますが、
できる限り早い、最速での復旧・復興を願ってやみません。

ただ、今回女川を訪れて、改善という意味で大きな進歩が見えたのは、総合
公園から女川駅とは逆方向に下ったところに、前回訪れたときには何キロに
も及ぶようながれきの山があり、そのがれきを両手に観ながら、砂煙がまき
あがる中を歩いたまろんの心は、大いにつぶされたのですが、それらが今回
かなりなくなっていることが確認できたことでした。
そしてこの日も多数の重機が休みなく動いて、がれきを運び出していました。
これらが撤去された後、整地され、消毒され、そして新たな住まいが建てら
れるというようなことになるのかどうかわかりませんが、少なくともここに
新たな「希望」を見いだすことができるように思います。

総合公園でぶらりとあちこち見て回り、総合公園でケートボール?ゲート
ゴルフ?をしているお年寄りの人たちを観ていたりしたら、帰りの代行バス
の時間がやってきたので、再び代行バスに乗って、
女川→渡波
渡波でJR東日本石巻線に乗り換えて、
渡波→前谷地
途中石巻では、石巻線開通100周年イベントが開かれており、今までに
はなかったポジティブな賑わいが感じられました。
こういうのも復旧・復興の大きな兆しなのでしょう。

石巻で3分程度停車した後すぐに発車となり、前谷地で乗り換えて、、、と、
本来の予定ではそうなっていたのですが、実は石巻を出たあたりから無性
に眠くなってしまい、、、、なんと寝過ごして前谷地で乗り換えれず、
乗り越してしまいました。
さて、どうしよう?

とはいえ、そこはいつも冷静な?まろんのことですから、
前谷地→小牛田
小牛田で東北本線に乗り換えて、
小牛田→一ノ関
一ノ関で大船渡線に乗り換えて、
一ノ関→気仙沼
このルートはかなりの回数訪れておりますし、乗客も多く車窓を楽しめる
状況でもなかったため、チャンスとばかりに睡眠を取ったり、このブログ
の記事を書いたりして、時間を費やしました。

気仙沼からは先日開通したJR東日本の代行バスに乗り換えて
気仙沼→志津川
この代行バスは今までレールがあったところを、レールが流されてしまった
部分を含めバス専用道路にして、言わばレールバスみたいな感じにしたもの
で、地元との協議の上で、出来上がったものです。
ただ実際に専用道路として開通しているのは一部だけで、その他は普通の
バスと同じく一般道を走ります。
そして、これが出来上がったことで、まろんもやっと志津川に訪れることが
できるようになったのでした。

このバスの専用道路ですが、一部だけを体験できましたが、専用道路のため
信号待ちもないなど想像していたよりはかなり快適でした。
乗車率に比して、線路の場合のコスト面、維持費など、様々な面で最適な
復旧・復興ではないかとも感じました。
まだ一部だけということもありますが、東日本大震災によって未だ復旧の
目途が立っていない路線について、この方法を前向きに検討する価値は
あるように思いました。
年末年始に訪れた釜石-山田-宮古間など、この方法での復旧はどうなのでしょうか?


さて、気仙沼と志津川の間で車窓から見えた被災状況と復旧・復興の度合い
ですが、今回の東日本大震災特有の事情でもあるのですが、とにかく津波の
被害というのがあまりにも凄惨、甚大である傍らで、その被害がなかった、
津波が届かなかったところというのは、信じられないほどに何事もなかった
かのように安泰としています。
※もちろん、様々な付加的な被害はあるのですが、あくまで見た目の話です。

津波の被害を受けたところというのは、清水浜などの海沿いの集落部分で
特に顕著で、被害状況を最も特徴的に感じられたのは、集落の奥地にあり、
結構な高台を走っていたJR気仙沼線の線路までが流されてしまい、陸橋は
破壊され、ぐしゃぐしゃに破壊されつくしていたことでした。
あれだけの奥地にあって、場合によっては津波が発生した場合の最終的な
避難先とされていてもおかしくないであろう高台の線路が、そこまでの被害を
受けているのであれば、これだけの被害というのはある意味で仕方がないなあ
とつい思ってしまうような惨憺たる状態でした。

瓦礫の山々もまだあちこちに散在し、女川以上に復旧・復興に遅れが生じて
いるようです。
ただ、それ以上にひどい惨状だったのが、今回の最大の目的地でもある志津川でした。

南三陸町といえば、命を落としてまで、最後の最後まで、住民の避難を
呼びかけ、アナウンスし続けた結果、帰らぬ人となった遠藤未希さんと
三浦毅さんが生まれ育った町であり、東日本大震災で特に甚大な被害を受けた
町でもあります。
その被害の状況は、まろんがはじめて被災地のいわき・小名浜を訪れた
あのときの状況とそれほど変わらないようにさえ感じました。
はじめて被災地のいわき・小名浜を訪れたのは1年半ぐらい前なのですが。

他の被災地では解体が終わって、整地されていたり、少なくとも建物の土台
だけになっているのがほとんどですが、志津川では解体された建物の
コンクリートの固まりがまだ各戸建の家の敷地内に積まれ、津波の後水はけが
悪くなってしまったのか、水が引けない状態で、水びたしの街中。
誇りが舞いあげて、頻繁に行き来するダンプカー。
街中にまだ山積みになっている瓦礫と、瓦礫の山に出入りするダンプカー。
津波の被害を受けたままの状態で放置されている志津川駅。

ただ、おそらく復旧・復興ということで、作業は進んでいるのは間違いない
とも感じられるのですが、あまりの被害の甚大さに全く追いついていないと
いうのが、真実であるようには思います。
それは破壊された志津川駅のプラットフォームに立ち、駅の状況、そして
そこから四方を眺めれば、誰にでもわかることのように思います。
それほどまでにひどい惨状である。
これが1年6ヶ月を経過した後なのかと思わざるを得ませんでした。

しかし、人は本当に強い、というのか、たくましいというのか。
この状況でもしっかりと「希望」を見いだそうとしている姿が垣間見えました。

先述した解体された瓦礫が積まれた戸建ての家々には、白い文字で切り抜き
看板のようなものがそれぞれに掲げられており、その看板には、様々な抱負
が語られているのです。
これについては、どうしても直接見に行っていただきたいので、何が書かれて
いたのかの内容は書きませんが、この惨状を前向きに乗り切った後、
何をしたいか、何をするのか、そんなことが語られていました。

あまりの町の惨状に心つぶされ、まろんには珍しく下を向いてとぼとぼと
歩いているだけの時間でしたが、その看板を一枚一枚観て、共に「希望」を
持って、しっかりと自分ができることを、最大限やり続けることを、新たに
心に書き留めた貴重な時間でもありました。
その後、遠藤未希さんと三浦毅さんが、最後に過ごされた防災庁舎を訪れ、
二人の心意気を、気持ちをしっかりと胸に焼き付けて、志津川を離れること
にしました。

当然のことながら、彼らだけではなく、名もないながらも彼らを捜し続けた
自衛隊員、警察官、消防官、海上保安官、その他関係者の想いや志をも、
まろん自身の人生の中で様々な形で、反映させることを強く誓いました。

志津川を代行バスで離れ、
志津川→柳津
柳津からJRに乗り換えて前谷地、小牛田へと出ようとしましたが、次の列車
まで2時間以上もあり、その上さすがに東北の冬という感じで気温もどんどん
下がってきたこともあり、またこの日は経済活動をほとんどしていなかった、
というよりはできなかったため、タクシーで前谷地に出ることにしました。

毎度東北に来るたびに思うのですが、東北の人は本当に優しい、人の良い人
が多いなあと思います。
今回のタクシー運転手の方も、電車の時間などを本当に親身に気にかけて
くださり、また東日本大震災の話や世間話、身内話など色々とお話を伺う
ことができました。
まろんがやっていることはおそらくほとんど彼らの力になれることはありま
せんが、とにもかくにもできる限り早い、最速での復旧・復興を願います。

柳津→前谷地
タクシー運転手さんの好意のおかげで、前谷地でJRに乗り換えることができ、
前谷地→小牛田
小牛田で次の列車まで40分程度あったことと、実は小牛田に到着した18時
まで昼食を食べていなかったため、駅前の料理店に入って、遅い昼食を食べ
ました。
贅沢弁当という弁当料理だったのですが、刺身もついていてなかなかの美味。
ただ、カキフライが思ったほど美味しくなかったと一品もそれほど洗練されて
いなかったのが残念でした。
昼食が終わったら急いで駅に駆け込んで、到着していた東北本線の列車に乗り、
小牛田→一ノ関
一ノ関でまたまた乗り換えて
一ノ関→北上

今回の旅行はじめての岩手県ですが、本日は北上のホテルに宿泊することに
しました。
北上って意外に?ホテルが多くて、たまたま予約が取れたということですが、
ホテルに荷物を置いたら、早速北上の街の散策、朝食の買い出しなどをして、
ホテルに戻ったら、このブログ記事を整理して、お風呂に入って、肉体的な
疲れとともに、痛めつけられた精神的な疲れを癒すために、深い眠りへと
落ちるまろんなのでした。
posted by まろん at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月26日

2泊3日石巻・志津川・気仙沼旅行~前編~

10/26は、まろんが10月から16社目として入社した会社が
会社休となり、27、28を含めると3連休になるため、
6/12のいわき、小名浜以来4ヶ月ぶりに、東日本大震災の被災地に訪れることにしました。

今回の主たる目的地は、今まで行きたかったのですが行けなかった
志津川、それから実質3回目となる石巻、2回目となる気仙沼です。
東日本大震災から約1年半。
停滞し続ける政治の陰で、東日本大震災からの復旧・復興の進捗は
どうなっているのか?
それをまろん自身の目で観て、耳で聴いて、鼻で匂って、肌で感じ
リアルな姿そのままを確認すること、
そしてそれをこのブログで公開すること、
そしてわずかながらの経済活動をすること、などを今回も目的と
しています。

朝5時半に起床し、まろん家の愛しの「みかん」が夜中に荒し放題
にした籠の掃除と、えさの準備をして、ひとしきり愛でてから、
朝食を食べて、一休みしたら、いつものとおり元気いっぱい実家を
出発しました。

今回の目的地は東北ということで、まだ若干昼間には暑さも残る
大阪とは異なってかなり寒い可能性があるため、今年の秋はじめて
の保温タイツや保温シャツを着ていることや、荷物も若干多めの
ため、最寄り駅の八戸ノ里に着いた頃には、かなり体が温まって
いました。

八戸ノ里→鶴橋→大阪→新大阪
新大阪で新幹線ひかり号に乗り換えて、
新大阪→東京

ちなみに、JR東海とJR西日本が運営しているエクスプレス予約の
ICカードを利用する会員の場合、3日以上前にひかり号の指定席
予約をすると早得ということで、だいたい1000円程度安くする
ことができ、今回はこれを利用しました。

ちなみに、今回の旅行の発端となったのは、現在JR東日本で、東北
のローカル線のみ金曜日~日曜日まで3日間乗り放題という
「東北ローカルパス」というとくとくきっぷが発売されていること
を知ったことがきっかけですなのですが、このきっぷは3日間で
6000円です。

東京に到着したら、いつもの酒豪の女性達とランチを楽しむため、
寄り道をすることにしました。
東京メトロ東西線に乗り換えて、
大手町→九段下→半蔵門
半蔵門に到着したら、最近できた韓国料理店で待ち合わせをして、
酒豪の女性達と楽しいランチを楽しみました。

今回は2名が仕事の関係で来れなかったため、まろんを入れて3名
だけだったのですが、気心が知れた仲ですので(笑)、楽しいひととき
を過ごすことができました。
「女子会から生まれた素敵なカップル」は、その後うまく進んでいる
ようですので、これからどうなっていくのか、期待半分、心配半分と
いったところでしょうか?(笑)

楽しいひとときというのはすぐに過ぎてしまうもので、あっという間
に時間は過ぎ、素敵な女性たちと別れの時間が訪れました。
まろんは徒歩で半蔵門からJR四谷駅まで行き、JR東日本「えきねっと」
で購入しておいた、「トクだ値」のきっぷを受け取り、
四谷→お茶の水→上野
上野で、JR東日本の最新型新幹線のはやぶさと同型車両のなすの号
に乗り換えて、
上野→郡山
郡山で、先述の「東北ローカルパス」を購入し、
郡山→福島→仙台→石巻
と乗り継ぎ、今回の目的地の石巻に到着しました。

ちなみに、今回仙台から石巻の間で乗車したのは、仙台→石巻間を
小牛田経由で直通運転している、直通快速でした。
朝と夜それぞれ1本ずつ、石巻からの通勤用?に新設された列車
らしいのですが、途中の駅には一切止まりません。
本来は仙石線が仙台→石巻の直通路線なのですが、野蒜地域などの
凄惨な被災状況が改善しておらず、陸前小野→高城町間が不通のため
JR東日本が新設したようです。
一日でも早い復旧が望まれます。

石巻は、あれだけの災害に見舞われたため、被災地救援のボランティアの方々
の宿泊が当然優先で、今まで宿泊できるホテルが少なかったのですが、
今年に入り宿泊できるホテルが増え、今回やっと宿泊できるホテルの予約が
できたため、念願の石巻での宿泊となりました。

ホテルに到着したら荷物を置いて、すぐに外出し、前回訪れた石巻の街の
復旧・復興状況を確認するため、徒歩で沿岸部へと訪れました。
石巻に到着したのが19時の夜ということもあり、すべてを仔細に観れた
わけではありませんが、街中はかなりの程度復旧・復興しているといえると
思います。
新しい店等もかなりできており、2011年7月26日に石巻を訪れた時の
あの凄惨な状況はほとんど感じられませんでした。
一方で、沿岸部は取り残された状態のように、川沿いの遊歩道の復旧等は
後回しにされているようでした。
また3階建てぐらいのアリーナも崩壊された状態で取り残されていましたが、
その3階部分まで大津波によりぐしゃぐしゃにつぶされている状態を観ると、
改めて津波の恐ろしさ、自然の恐ろしさを感じざるを得ません。

街中を1時間程度観て回ったら、ホテルの近くにあるお寿司屋さんに入り
遅い夕食をとることにしました。
今回注文したのは、海鮮丼とさわらの塩焼き。それと梅酒ソーダ割り。
海の幸の宝庫である石巻の魚介類ということで、わくわくしながら、料理
が出てくるのを待っていたら、出てきました。出てきました。
海鮮丼には、鰹、さんま、いか、いくら、かんぱちかはまち?、ほたて、
えび、たこ、そして生かきにクジラ。なんともすごいボリュームです。
味は、、、絶品!!!!
こんな美味しいボリュームのある海鮮丼は初めてでした。さすが石巻。
もちろんさわらも、厚切りで脂がのっていて柔らかく最高でした。
こんな資源に恵まれた、力があれば、石巻はこれからも順調に復旧、復興
されるのだと、勝手に思ってしまいました。

とはいえ、これは一面的なことである可能性もありますので、広い視野から、
しっかりとした復旧・復興が進むことを願ってやみません。

ちなみに、このお寿司屋さんのお店は、東日本大震災前は魚市場のあたり
にあったらしいですが、2011年7月26日に石巻を訪れた記事の中で
記載したとおり、魚市場のあたりは壊滅的な状態で、お店が潰れてしまい
今回まろんが訪れた場所に移転してこられたとのことです。
魚市場あたりは今もまだ復旧しておらず、魚市場自体は別の場所で運営
し始めたとのことです。
大切な店を失いながら、新しい店を築き、これだけの料理を出せるという
その人の強さに、様々な人の支えがあってこそとはいえ、深く胸に突き刺さる
まろんなのです。

お腹がいっぱいになったまろんは、すぐにホテルに戻り、このブログを
書いてから、風呂に入り、今日の疲れを癒すために、深い眠りにつくのでした。

明日は女川に訪れた後、志津川、気仙沼へと向かう予定です。
posted by まろん at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まろん」の旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする