2012年04月29日

本質を見極めることがすべてのはじまり~北朝鮮問題編~

※この記事は「本質を見極めることがすべてのはじまり~仕事編~」の続編です。

前回は本質を見極めることについて、労働組合と仕事をテーマに具体的に書きましたが、
今回は少し視線を変えたテーマで物事の本質を見ていきたいと思います。

(3)朝鮮半島の脅威
→4/14 
北朝鮮において3回目のミサイル発射が実行され、それ自体は失敗に終わりましたが、
おそらくこの失敗を埋め合わせるためか、否当初の予定どおりに近日中に核実験を実施
されることでしょう。
この動きに合わせて、世界中、特に我が国では洪水のようなマスコミ報道があり、
北朝鮮の脅威が声高に叫ばれる毎日ですが、本当にそうなのでしょうか?
北朝鮮の脅威は、今回のミサイル発射によってはじめて表面化したのでしょうか?
また以前に増してその脅威が、今回特に高まったということなのでしょうか?

そもそも北朝鮮の脅威は、1度目のミサイル発射と核実験が実施されたときから、
否本当はもっと以前から、我々がその存在に全く気づいていないかなり前から、
拉致という形で、既に我が国に攻撃を加え、日本人を拉致誘拐し、策謀を働き、
我々に目に見えない脅威を与え続けてきたことを我々は知っているはずです。

その上、北朝鮮の脅威は、こういう目に見えたミサイルや核実験という形だけでは
なく、日常生活に同化してしまっている工作員を含め、我が国の政財界の深淵部
まで深く入り込み、策謀の渦中にあり、いつそれが再び表面にでてくるのかという
脅威として既に存在します。
というのは、我が国の国民が拉致されたあの犯罪は、北朝鮮からやってきた工作員
だけでは完結できるはずはなく、我が国に潜伏している北朝鮮の工作員、または
彼らから金銭を授受したり、戦前戦後の我が国に対して何らかの恨みなどを持つ
日本人自身による手引き、手助けがなければできなかったと考えられるからです。

逆の見方をすれば、今回のミサイル発射と核実験は、単なる北朝鮮の外交の道具
であるに過ぎないということであり、またその外交の道具は、我が国をターゲットと
しているというよりは、米国、中国をターゲットにしているものであるということです。
そして、北朝鮮による我が国に対するミサイルと核の脅威に関する脅威というのは、
既に過去2度にわたるミサイル発射と核実験によって、確固たるものとなっている
のであり、今更騒いでも意味がありません。

今回仮に騒がなければならないとすれば、それはその脅威に対する政治の怠慢、
我が国国民の危機意識のなさ、仮にその脅威が現実になった場合の対応策を、
「危機管理」の観点から精査し、「未来」の展望を描き、今やるべきを列挙し、
迅速に処理していくことのみを促す、その1点にあるはずです。

たとえば、個々の国民ができることといえば、北朝鮮の工作員と疑われる人を警察
公安に通報することや、現行憲法の問題・課題を真摯に見つめ、我が国を守るための
軍事力の整備や核抑止力など、様々な観点から議論を深めること。
政治はその議論を汲み取って、民主主義の観点から憲法の改正の要否の判断、
法律の整備、危機管理体制の整備などの結論を導きだしていくことが必要になります。
その覚悟が既に我々には求められているというのが、本質です。

仮に今回のこの北朝鮮によるミサイル発射の洪水のような報道から、我々が改めて
認識することがあったとすれば、その覚悟を決めることだったのかもしれません。
posted by まろん at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 国家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月20日

本質を見極めることがすべてのはじまり~仕事編~

この世の中にあるほとんどの物事、例えば仕事など、には、すべてその基盤に、
核となるもの、つまり本質となるものがありますが、その本質を見極め、その本質に
従って物事を推し進めなければ、必ず誤った方向に進んでしまいます。
別の見方をすれば、物事の本質に従ったことであれば、仮に優先順位を誤るなど
方法や手段を誤ってしまったとしても、いずれは正しい道へと導かれるということです。

この意味で、本質を見極めることは、物事を成し遂げるにおいて、我々が人生を歩む
上において、非常に重大かつ大事なことであり、「未来」を見誤らず、「現在」なすべき
ことを明確にするために必要不可欠なことなのです。
そして、当然のことながら、「過去」に積み重ねてきたことをしっかりと精査し、「現在」
→「未来」につなぐためにも必要不可欠なことです。


しかし、この基本的な、すべての基本中の基本であることに想いを到らせることなく、
表面的なことに終始してしまう体質が、現代の社会の多くの場面で存在し、そのことで
自らの、自らが所属する会社の、自らが所属する組織の、我が国の、進路を間違った
方向へと導いてしまっているのです。
そして、あの東日本大震災以降は、それが我が国の行く末という形で、より明確化されました。

このような本質を見極めることをしない、できない体質は、あの東日本大震災以降、
さすがにあのような甚大な災害を目の当たりにして改善されるのかと思ったものの、
場合によって、もう一度同規模の震災が訪れるかもしれないという今に至ってもなお、
改善される気配はほとんど感じられません。

元々本質を見極めることができていた企業は、既に再生の過程をしっかりと歩みだし、
本質を見極めることができた人々は、個々に先を見据えて、今やるべきことを見出し、
歩みだしています。
しかし一方で、本質を見極めることができない国家や企業、人々は、その最初の一歩を
歩みだすことすらできない、否、改善しなければならないという気持ちはあっても、どうしたら
いいのか、どう対処したらいいのか、何をしたらいいのか、何をするべきなのか、ということ
そのものがわかっていない、見えていないのです。

このことは、震災からの復旧・復興という課題以上に、由々しき問題であるとも言えます。
というのは、震災からの復旧・復興については、我が国経済力からすれば、仮に本来の
能力に比して時間がかかることがあったとしても、いずれ実現できますが、この問題を
解決するのは経済力でできることではないからです。


では、ここで様々なテーマ、事例を参考にして、物事の本質とはどういうものか?
どういう視点で物事を見るべきなのか?
物事の本質はどこにあるのか?
ということについて、個別に見てみたいと思います。

では、最初の第1回はちょっと意外なテーマから書きたいと思います。

(1)労働組合
→労働組合とは、使用者(会社側)と労働者という関係において、経済的に弱者である
労働者個人では、使用者と対等に対峙しにくい状況を解決するために、労働者によって
構成される労働組合という団体を組織し、組織として活動することで、使用者と対等に
対峙することができるように、憲法ないしは法律において認められている組織です。

つまり、経済的にも弱者である労働者が、使用者の身勝手な裁量によって退職させられ
たり、不当な行為を要求されたり、しないことと、労働者の権利保護のために必要な組織
であるという理解のもとで、認められた組織です。

代表的なものとして、教員によって構成されている日教組がありますが、JRやNTT、ANA
などの大企業を中心として、労働組合は今も存在しています。
ただし、近年は組合離れが激しく、5/1のメーデーに参加する労働者もだんだん減少して
います。
単純に組合に所属することへのわずらわしさを感じる労働者が増えたことや、終身雇用や
年功序列が崩壊し、労働者の流動化が進み、労働組合に所属する必要性が乏しくなって
きたことがその背景にあるようです。
ちなみに、まろんはベンチャー企業の経験が多いため、組合への所属経験はありません。


ところで、この労働組合の本質的な部分というのは、上記のとおり労働者の保護であり、
定期昇給の確保やできる限り多くの賞与を獲得すること、労働者の労働環境の整備など
が主たる目的ですが、この本質的な部分がいつの間にか、曲解されてしまい、
労働組合は労働者が如何に楽をするか、如何に額に汗せずできる限り多くの対価や
福利厚生を取得するか、が、主たる目的になりはじめました。
まさに本質を見誤ったことであるといえます。

例えば、JRの前身の国鉄時代、運転手は一日3時間程度運転すれば8時間勤務した
ことになったそうですし、驚くほど頻繁に休憩時間が割り当てられたということもあった
ようです。
最近大阪市長選によって表面化しましたが、労働組合が自らの既得権益を守るために
政治と一体化していたということもあったようですね。
できる限り楽に労せず、できる限り多くの対価を得る。またそのために組織という嵩に
かかって自らの主張を通す。
こんなことがまかり通っていたというのはまさに驚天動地です。

そういえば、今の民主党政権は、日教組を含め、このような労働組合の人達によって、
支えられている政権ですから、まさに本質を見失った政権ともいえるかも知れません。
2009年の8月の衆議院選挙によって、我々はパンドラの箱を開けたわけですが、、
まろんを含め、我々が物事の本質を見極められなくなってしまっていたことの明確な証左
とも言えます。
もちろん、当時はそれを望まざるを得ないほどに自民党政権があまりにも退廃していた
こともあるのですが、、、。

ところで、こう見てくると、労働組合の存在に関する本質を見誤った背景には、
"労働"に対する本質を見誤っているのではないかという疑念に行きつきます。
何故労働組合は主たる目的を見失ってしまったのか?
そこで、次に"労働"の本質について見てみたいと思います。

(2)労働(働くこと)
→アルバイト、パート、業務委託、契約社員、派遣社員、正社員など、ほとんどの
人は様々な形態で、様々な会社において、人生の中で仕事に従事しますが、
その目的は様々です。
学費を稼ぐため、生活のため、生活のゆとりのため、生き甲斐を見つけるため、
人生の目標を達成するため、夢のためなど。

ただ、そのいずれの目的で働くにせよ、どういう経緯でその会社に入ったのである
にせよ、働くことの本質は、会社という組織が目指すべき目的を達成するために、
それぞれが、それぞれの知識やスキルや経験を最大限活かして、自らの役割を誠
実に果たすことにあるはずです。
仕事の速さを求められる場合もあれば、質の高さを求められる場合、正確性を求め
られる場合、戦略的な立案を求められる場合、創造性を求められる場合、お客様と
真摯にコミュニケーションを取る事が求められる場合など、様々でしょうが、その人
それぞれに割り当てられている役割を果たすことが、労働の本質であると言えます。

とはいえ、確かに、その会社の体制ややり方、上層部の意図、上司の意向、ビジョン
方向性などと相容れないことも多々あり、最大限努力しろと言われても、そんなことは
できない、する気になれない、というようなこともあるでしょう。
しかし、そうではあってもその会社に属している限りは、労働の本質はその組織に
おいて、最大限自らに課せられている枠割りを果たすことに全精力を傾けなければなりません。
それができない、したくないということであれば、その組織を去る以外ありません。
労働の本質とはつまりそういうことです。

破綻するのは目に見えているが、それまではとりあえずの賃金は入ってくるし、また
仮に破綻しても雇用保険があるので、ただ漫然とその会社にとどまっているという人
も結構います。
まろんの今までの華麗な??転職経験においても、そういう人が結構いました。
そういう人は、仮に会社が「未来」を見据えて、何かをしようとしても、その足を引っ張
っていることがほとんどです。
否、その人がいるために、会社が窮地にあるという場合もあると思います。
本質を見極めることができない社会というのは、こういうところにも見えてきます。

先日「潰れる会社は潰さなければならないのでは」という記事を書きましたが、当然
のことながら、会社側にも本質を見極められないことで、多くの不幸をもたらしている
事情が多々ありますが、それを支えるはずの人達の損得勘定、保身なども一方に
存在するわけで、いわばどっちもどっちという感はあります。


まろんには華麗な??転職経験がありますが、その会社に所属する限りにおいては、
常に徹底した全力主義であり、不平不満を社内で明かすことは一切ありません。
最速、できる限りの最も高い質の仕事、社長を含め様々な人とコミュニケーションを取り、
常に「過去」→「現在」→「未来」の原則に基づいて、戦略を立て、問題・課題解決、業務
改善などに、取り組みます。
場合によっては、仲間内で小規模な組織を作って、それぞれにやるべきことを
やるために決起することもありました。

一方で、退職するという決意を固めれば、できる限りその組織から身を引きます。
それは「辞める」「辞めたい」と思っている人が、組織の中にいる限りその組織が
活性化することはなく、マイナスでしかないからです。
逆に「辞めたい」と言ったり、思ったりしている人は一切引き止めません。
もちろんそこに至るまでに、コミュニケーションを図ったり、モチベーションを高めたり
することはありますが、一度「辞めたい」と言ったり、思ったりしたら、その時点で、
引き止めることはしません。
逆にどういう組織が向いているのか、その人のどういうところが今後伸びるのか、
生かせるのかという長所を見つけて、対話する方向にシフトを変えます。

"労働"に従事する以上は、期間が決められている場合はその期間、期間がない場合は、
退職するまでは、常にその組織のため最大限全力で努力し続けることが、"労働"の本質
です。
しかし、その"労働"の本質を見極められている人がどれだけ存在するのか?
posted by まろん at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まろん」の知恵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月10日

2泊3日四国旅行~岡山・坂出・高松編~

4/8
今回の旅行はまろん母がもれなくついてきている関係で(笑)、この日は少し余裕を持たせて、
9時ぐらい出発の予定だったため、朝は7時半に起床し、、、と思っていたら、前日早く
眠ってしまったので、ついつい7時には起床してしまい、しばしだらだらとしていたら、
いつの間にか7時半になったので、いそいそと身支度をしてまろん母と合流し、ホテルの朝食
を食べにロビーまで降りていきました。

いつものまろん旅では、朝食はスパゲッティサラダとおにぎりに決まっている?のですが、
今回はまろん母がもれなくついてきているので(笑)、ホテルも朝食付きを選択しました。

それにしても今回の旅路は料理には恵まれています。
この日の朝食も和食も洋食もどちらもボリュームも味も非常においしく、本当にまろん母には
嫉妬してしまいます。
ただ、当然のことながら、まろんが過去に訪れた場所も多いので、それほど外れがない場所や
ホテルを選択しているのですが、それにしても恵まれすぎています。

朝食を堪能したら、部屋に戻って身支度を整えて、いつもの通り元気いっぱいホテルを出発す
るのでした。

松山駅でお土産を物色したら、予讃線の特急しおかぜ号のグリーン車に乗って、いざ出発です。
このしおかぜ号は、まるで新幹線のようなかっこいい列車で、時速130kmで予讃線を颯爽と
滑走するのですが、松山と宇多津間は、松山からだと進行方向左手にそれは美しい瀬戸内海の
車窓を楽しむことができるため、まろんが大好きな車窓のひとつです。
場所によっては、手を伸ばせば海を触ることができるようなぐらいに瀬戸内海に接近する場所
もあり、海好きにはたまりません。
松山→宇多津

宇多津で高松行きの特急いしづち号に乗り換えて、、、と書くと、特急しおかぜ号とは別の
列車に乗り換えたと思われるかもしれませんが、実はしおかぜ号といしづち号は宇多津と松山
間では連結されて運転されており、宇多津駅で切り離された後、しおかぜ号は岡山まで、
いしづち号は高松まで行くのです。
と書くと、高松まで行くのであれば、最初からいしづち号に乗ったらいいのに、と思われる
かと思いますが、いしづち号にはグリーン車がないため、仕方なく宇多津まではしおかぜ号に
乗っていたという訳なのですね。
松山から宇多津まで約2時間、グリーン車と普通車の乗り心地は全く違いますので。(笑)
宇多津→坂出

坂出で下車したら、坂出駅の中にあるおいしい讃岐うどんのお店「亀城庵」に直行しました。
11時40分という早めに着いたにもかかわらず、お店は満員でしたが、タイミングよくすぐに
お店に入ることができました。
この店は、昨年讃岐うどんがただ食べたくなって、青春18きっぷを利用して、香川県に訪れた
時にふらっと入ったら、あまりにもおいしかったので、今回の旅程に組み込んだのでした。

今回はぶっかけ野菜たっぷりかき揚げうどんを食べたのですが、、、そのかき揚げにびっくり!!
直径15センチ、高さ5センチはあろうかという巨大かき揚げで、野菜たっぷり。
味はもちろん絶品です。ボリュームたっぷりでお腹ははち切れそうになりますが、、、(笑)
讃岐生まれのまろん母も絶賛するほどのお店で、本当におすすめのお店です。
坂出に行くことがあったら、是非行ってみてください。

坂出ではこのお店以外に、"名物かまど"で有名なおいしいまんじゅうのお店の支店があり、そこで
まろんも大好きな「田舎家」というまんじゅうを購入しました。
実はこのお店でデザートを食べて時間を潰す予定にしていましたが、讃岐うどんでお腹がいっぱい
になり、デザートを食べることができなかったため、仕方なく高松まで出ることにしました。
坂出→高松

高松はここ最近新築の建物ができたり、街が整備され、非常に洗練された街に変わりました。
その街を眺めながら、まろん母と高松港に行くことにしました。
高松港から海を眺めながら、しばし時間をつぶしたら、高松駅に戻り、快速マリンライナーの
グリーン車に乗車して、
高松→児島
児島でJR四国からJR西日本に入ったため、グリーン車から自由席に乗り換えて、
児島→岡山

岡山で土産物を購入したら、山陽新幹線の500系こだま号に乗車して、
岡山→新大阪
その後
新大阪→大阪→鶴橋→八戸ノ里
と経由して、実家へと帰っていったのでした。

それにしても、今回の旅は、桜満開の季節、真っ青な晴天、綺麗な海、壮大な山々、綺麗な夕日、
おいしい料理、快適なホテルなど、ほぼ完璧に近いぐらいうまく進行できた旅だったように思います。
まろん母の強運なのか、まろんのおかげなのか。
後者と言いたいところですが、おそらく前者なのでしょう。嫉妬してしまいます。(笑)
posted by まろん at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする