2012年03月29日

まろんの転職活動

※今回の記事は今現在転職活動をされている方や興味を持っておられる方、また他人の
給与等に興味をもたれている方に、まろんの生の情報を色々と提示したいと思い、書い
てみることにしました。
かなり思い切った記事になっていると思います。(笑)


まろんが2010年5月に最後の聖地であると確認して入社した北海道の医療法人と
社会福祉法人の経営の仕事から身を引いて、もうすぐ2年を経過しようとしています。
http://maronmaron.at.webry.info/201005/article_4.html

その間再び医療系の経営の仕事に就くための転職活動を行いながら、まろんが持つ
IT系のスキルを使って、派遣社員あるいは契約社員という期間限定の仕事に従事して
いるのですが、NTT系の契約社員の仕事、派遣会社に登録しての仕事など、業務内容が
違う仕事の経験を積み重ねております。

これらの仕事に加えて、2010年の医療法人、社会福祉法人までの正社員での仕事、
正社員の前の契約社員や業務委託の仕事を含めると10社以上で仕事をしてきたことに
なります。
今振り返ってみると、これだけの仕事をよくもやれたなあという感想を持ちつつ、これ
だけの会社を渡り歩かなければならないぐらい、つまりまろんが見切りをつけなければ
ならない会社がこれだけ多くあったものだという、暗澹たる気持ちにもなります。
まあ、我が国には100万以上の会社があると言われていますので、まろんが経験した
のはほんの一部ということになりますが、、、

ちなみに、まろんが面接をしてもらった会社、書類選考に落ちた会社などを含めると、
おそらく500社ぐらいにはなるかもしれません。
もしかしたら、この記事を読んでいただいている方の中に、まろんの履歴書や職務経歴
書をご覧になられた方がいるかもしれません。(笑)

さて、この2年間ですが、正社員での内定がなかったということではありません。
以前働いていた会社で、まろんを高く評価していただいていた方の斡旋で、高待遇での
仕事の紹介があったもの、
石川県の医療関係の仕事で、ほぼ内定まで進んだもの、
大阪府のベンチャー企業の経営系の仕事で内定があったもの、
がありますが、いずれもお断りすることにしました。
2つ目の石川県のものは、まろんが以前働いていた会社に、内偵調査をした形跡があり、
ルール違反と判断してお断りしたのですが、まあ色々とありますね。(笑)


ちなみにまろんの給与ってどれぐらいなのか?
どれぐらいの市場価値があるとされているのか?
と思われている方がおられるかもしれませんので、情報公開しますと、この2年間の
派遣社員あるいは契約社員での給与は、時給で言えば1300円~1400円。
年換算すると280万円ぐらいでしょうか?

正社員で最も高い市場価値があったのは、北海道の医療法人と社会福祉法人の時で、
年棒540万円+α。
最も市場価値が低かったときで、年棒換算で380万円程度。

前述の高待遇での仕事の紹介があったもので、800万円。
その前に同じ方から仕事の紹介があったもので、600万円。
求人サイトで、質問に答えていくと自動的に年棒が提示されるものがありますが、
それで測定すると750万円ぐらいになるようです。

ちなみに600万円の年棒の案件については、幹部の方は前向きだったものの、現場
レベルで拒否されたといういきさつがあったようで、断られてしまいました。

さて、今後も引き続き転職活動をしていくのですが、今までの経緯をふまえて、戦略を
立てるとすると、おそらく次のようなことになると思います。
(1)戦後の年功序列型、終身雇用型の会社については、まろんのような人材を採用
することはできないので、このような会社は除外する
(2)ルーティンワークとして人事や総務を業務として実施し、書類選考している会社
はまろんのような人材を採用することはできないので、このような会社も除外する
(3)経営に近い、決裁権、決定権がある方が人事をされている会社を重点的に狙う
最もいいのは社長などに直接選考していただけるような会社、社内の問題意識が高い方
が選考されている会社でしょう。

ただ、(1)(2)についても、あの東日本大震災以降変わりつつあるようですので、
捨てがたいのですが、、、

という感じで、まろんは前に、次に向かって、どんどんと進んでいます。
この終結がいつになるのか?
それを最も楽しみにしているのは、まろん自身です。
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2012年03月19日

2泊3日福島・石巻・女川旅行記~石巻・女川・松島編~

※旅程が2泊3日になりましたので、タイトルを変更しました。(まろん)

3/18 朝6時に起床したまろんは、ホテルの無料朝食が7時からで、間に合わないため、
昨晩購入しておいたいつものスパゲッティサラダとおにぎり1個、菓子パン1個を食べて、
身支度を整えたら、いつものとおり元気いっぱいホテルを出発するのでした。
とはいえ、今日は被災地の石巻や女川を訪れる日でもありますので、心が重い旅立ちでもあります。

本日中に福島にまた戻ってくる行程のため、福島駅のロッカーに重い荷物を預け、身軽になった
まろんは、7:03発の仙台行きの普通列車に乗車し、
福島→仙台
仙台で東北本線の乗り換えで、
仙台→小牛田
小牛田で石巻線に乗り換えて、
小牛田→渡波(わたのは)
渡波駅はあまり有名な駅ではないと思いますが、石巻から女川までの間にある駅で、お気づきだと
思いますが、本来は女川までの路線ですが、震災の影響で途中駅の渡波までしか復旧していないと
いうことです。

まろんは昨年の夏に石巻までは訪れ、女川には行かなかったので、東日本大震災後はじめての女川
行きになります。
渡波でJR東日本の代行バスに乗り換えて、
渡波→女川



、、、簡単に渡波→女川と書くと、女川駅に行ったと、女川駅があったのだと思われそうですが、
女川駅はほぼその残骸をとどめていません。
それどころか、女川駅の周りにあったと思われるものほぼすべてがなくなってしまっています。
ほぼ更地のような状態で、その中で転々と少し丈夫そうな建物が、無惨に破壊されたまま、
取り壊すことができずに取り残されているような状態です。

もちろん津波がすべてを持ち去ったという訳ではなく、津波の被害によって生じたがれき等を
被災地の方などの尽力によってすべて撤去したために、そうなっているのですが、はじめて
その光景をみると、、、
そんな光景の中で、埃が舞う悪環境の中でボランティアの方や警察の方が交通整理をしている状態でした。

女川の駅がないため、代行バスは代替地として、近くの高台にある女川運動場・競技場に向かい、
乗客はそこで降ろされることになります。
この日、女川は商店街が復旧するということで、”復幸祭”というお祭りを実施しており、運動場・
競技場はかなり活気があり、にぎわっていました。
出店が出て、ボランティアと被災者の方々が今までの労苦をそれぞれに分かち合うように、
にぎわう中で、当然のことながら部外者のまろんは、出店で物を買って経済活動をした方がいいのか、
控えた方がいいのか、など、どう立ち振る舞えばいいのかがわからないまま、にぎわいの様子やその
運動場・競技場のすぐ近くに設置された仮設住宅などを見ておりましたが、さすがに場違いの雰囲気
に耐えきれなくなり、運動場・競技場を離れ、本来の目的でもある町の様子を見て、聞いて、感じて、
匂ってみるために、女川駅付近を含め低地に降りていくことにしました。


とぼとぼと低地に降りて、最初に飛び込んできたのが、膨大な量のがれき。
5,600mぐらい長さの道路を挟んで、うずたかくぎっしりと積み上げられたがれきの山々。
そして、行き交うダンプカー。
道路を行き交う車が巻き起こす埃。
その道路を一人歩くまろん。
この甚大な量のがれきはいったいどう処理されるのか?
これだけの量を女川、ないしは宮城県だけで処理できるわけがない。
一刻も早く、全国各地で手分けして、処理する道筋をたてなければならない。
そのことをまさに肌で感じました。

最近ニュースでがれき処理のことが取り上げられることが多いですが、まさに待った無しと実感しました。
本件について訳知り顔の評論家の中には、がれき処理を他の都道府県に頼るのではなく、防波堤の
建築などで再利用するとか、色々工夫の仕方があるだろう、というようなこという人もいるようですが、
まさに現場を知らない、ということですね。
そんなことではまかないきれないぐらいの膨大ながれきが、まさにここにあるのだから。

がれきに挟まれた道を抜けると、女川駅跡に到着し、駅近くに広がる海も見えてきました。
それにしても線路ごと、まさに流されてしまったその跡はなんとも表現のしようがありません。
見渡す限りの更地のような状態に、絶望的な無力感とはまさにこのことなのだと思い知らされました。

しかし、思い返せば67年前の第二次世界大戦後。
我が国の敗戦後。
我が国は全国各地でこのような状態にあったことがあります。
大規模な空襲によって焼け野原になった東京や大阪、米国の人体実験によって投下された
原子力爆弾によってほぼ消滅状態になった広島と長崎。
あれから我々は先人の多大な苦労と努力により、一時は世界2位の経済力、世界7位の軍事力を
手にするまでの繁栄を手にすることができました。

もちろん、この繁栄が誤った、屈折したものであるということも言えなくもありませんが、
しかし世界中の多くの人々がうらやむようなものであることは確かです。
我々は今一度、67年前の戦後から今に到るまでに一歩一歩積み重ねてきたことを、再構築して
いかなければならないまさにそのときにあります。
その過程で、2011/3/11までの”誤った”繁栄も正すことができたならば、今回の東日本
大震災で、犠牲となられた方々に、「皆さんの犠牲のおかげで、よりよい社会に、世界に、国家に、
街にすることができました」と胸を張ることもできるのではないかと、更地と化した女川の地を見て
徹底的に打ちのめされる一方で、そんな想いを抱くまろんなのでした。

女川でおそらく2時間程度街全体を歩き回った後、タクシーで石巻に戻ることにしました。
タクシーに乗ると、運転手さんから色々とお話を伺うことができることができるので、前回の
石巻訪問の時と同様にタクシーを呼んだのですが、1県目のタクシー会社に掛けると、故障中のため
つながりません、とのNTTの無機質なアナウンスが流れました。
正直もしかしたらこういうことはある可能性を想定はしていましたが、やはりショックではありました。

2件目の黄金タクシーという会社は営業されていて、そこから1台配車してもらうことにしました。
とはいえ、どこに来てもらうのかがわかりません。
つまり目印となるものがないのです。
結局女川駅と伝えたところ、”元”女川駅ですね、との返答。
まろんとしては復旧するはずだからと”元”を入れるかどうか、逡巡したのですが、あっさりと
”元”女川駅と言われたので、おそらく数多くこういうやり取りが行われる中で、1年が経過し、
現地の人の意識はそうなったのだろうと、変に納得してしまったとともに、若干の寂しさを感じました。

タクシーに乗って石巻に向かう途中、様々な話をしました。
まろん自身が阪神大震災の経験者でもあり、好意をもっていただいたこともあり、私的なことを含め、
色々と話をしていただきました。
おそらく生涯忘れることはないでしょう。
そして、あれだけの災難に見舞われる中で、人は強くなれる一方で、優しくもなれるのだなあとも感じました。

タクシーで石巻に入ると、昨年訪れたときは信号機さえも整っていたなかったのとは比較にならないほどに、
信号機は整備され、街全体に明るさも感じ、行き交う人々にも普通の生活を取り戻しつつあるという印象
を受けました。

たまに被災地を訪れた芸能人などが、被災地の人から元気を与えられる、というようなことを
耳にすることがありますが、タクシーの運転手の方といい、まろんもそのことを強く実感しました。
本当はそうあってはならないはずなのですが、、、
それはもしかしたら、被災地に入る前は不安や心配や自分自身の無力感に苛まれるものの、
人が本来持っている本当の強さや逞しさ、優しさに率直に感じ取る中で生まれるのかもしれません。
実はタクシーに乗るまでは、この日の記事は書けないのではないかと思うぐらい打ちのめされていましたが、
なんとか、この記事を書き上げることができているのは、そういうことをまろんが率直に感じたからかもしれません。

タクシーで石巻に到着したら、駅近くを散策し、駅近くのお土産屋さんで土産物を買って、仙台へと
戻ることにしました。
行路とは違い、仙石線を利用することにして、
石巻→矢本
仙石線は高城町から陸前小町までの間がまだ復旧していないため、矢本で代行バスに乗り換えて、
松島海岸へ向かうことになります。

※この区間は昨年の夏に訪れた際にも通っていますが、そのときの状況は下記の記事を参照ください。
http://maronmaron.at.webry.info/201107/article_3.html

昨年の夏は高城町から矢本までが不通だったのですが、陸前小町と矢本間は綺麗に整備されて
復旧しており、まずは大きな改善がありました。
しかし、上記記事でも記載していますが、野蒜駅あたりはまだまだ手つかず、というか手を
つけられない状態と行った方がいいでしょうか。
しかし、野蒜以外のところについては、徐々に復旧しつつある雰囲気が見え始めています。
特に松島は、昨年の夏の段階で、復旧・復興のはじまりを感じましたが、3/18は、日曜日と
いうこともあり、ほぼ全盛期に近いぐらいの観光客のにぎわいと輝きを取り戻しつつあるように
感じました。
焼きかきなども豊富に売られているようでした。
松島には東日本大震災以前も何度か訪れていますが、その時と遜色ないように感じました。
※ただし、これはまろんが外から見た印象だけですので、内実までは当然わかりません。
ただ、復旧・復興できるだけの基盤は他の地域に比べればできあがりつつあるのは、確かだと思います。

矢本→松島海岸
松島海岸で仙石線に乗り換えて、
松島海岸→仙台
仙台で3/19に東京で再会するいつもの酒豪の女性達へのホワイトデー用のプレゼントや
お土産などを購入したら、東北本線で、
仙台→福島
福島でロッカーに預けておいた荷物を調達し、
福島→郡山
郡山では今回2度目の新幹線利用で、
郡山→宇都宮
宇都宮で鈍行に逆戻りし、
宇都宮→上野
上野で東京メトロ銀座線に乗り換えて、
上野→田原町
田原町から歩いてホテルにチェックインし、荷物をおいて、買い出しにでかけ、
この記事を書いてから、風呂に入ったら、2日間の猛烈な肉体的な疲れとこの日の猛烈な精神的な
疲れを癒すために、泥のように眠るまろんなのでした。
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2012年03月18日

2泊3日福島・石巻・女川旅行記~福島編~

※旅程が2泊3日になりましたので、タイトルを変更しました。(まろん)

3/14 1ヶ月契約の派遣契約を更新することなく退社したまろんは、3/17~20の4日、
場合によっては短縮する可能性がありますが、3/11で1年を経過した東日本大震災の現場に
再び訪れることにしました。
今回の目的は、新たな被災地の現場を訪れること、それから前回訪れた被災地については、その
復旧・復興が進んでいるかどうかをこの目で、肌で、耳で、鼻で感じることです。

3/17 4:50に起床したまろんは、昨晩の残りのご飯と肉野菜炒め、それから野菜ジュース
を飲んで食べてから、5:20頃いつものとおり元気いっぱい実家を出発するのでした。
3/17、18とあいにくの大雨という予報であったにもかかわらず、まろんの旅路を押し進める
ためなのか、まろんが最寄り駅に行くまでの間は雨はあがっていました。
ちなみに、今回の旅も18きっぷのシーズンということもあり、鈍行旅行です。(笑)

八戸ノ里→河内永和
ここでJR線に乗り換える予定だったのですが、まろんの完全な勘違いで目当ての列車は既に発車
してしまっており、仕方なくJRに乗り換えずに、
河内永和→鶴橋
鶴橋でJRに乗り換えて
鶴橋→大阪
大阪で快速列車に乗り換えて、
大阪→米原
米原でJR東海の8両編成の特別快速豊橋行きに乗り換えて、
米原→豊橋

それにしても、JR東海の在来線の充実度、改善は目を見張るものがあります。
まろんの鈍行旅行がはじまった当時は、JR東海の在来線と言えば、2両編成か4両編成、ラッシュに
まれに6両編成で運行する場合があるという程度で、米原からJR東海エリアに入るときは、いつも
憂鬱な気分で、たまに金銭的に余裕があれば米原から新幹線を利用することもあったのですが、最近
は最低でも4両編成で、今回のように8両編成というのも珍しくなくなりました。
鈍行旅行好きのまろんにはありがたい限りです。

(※おそらく経営上新幹線の利用を促すという意図や、国鉄→JRへの変更後のドタバタがやっと
落ち着いてきたことなどが在来線の充実の要因となっているものと思います。
ちなみに、当時もまれに運行される快速列車だけは8両編成だったと思います。)

豊橋でまたまた乗り換えて
豊橋→浜松
浜松で浜松始発の列車に乗り換えて
浜松→静岡
静岡で早朝の遅れを取り戻すために、仕方なく新幹線を利用することにして、
静岡→三島

ちなみにJRは3/17からダイヤ改正によって、新しいダイヤになったのですが、昨日大騒ぎがあり、
ニュースでも取り上げられていましたが、東海道新幹線から300系と呼ばれる新幹線車両が引退し、
東海道新幹線では700系とN700系の2つの種類だけになってしまいました。
こだま号でも快適な700系の車両に乗れるということで、それはそれでうれしい限りですね。
ちなみに、山陽新幹線では300系とともに、100系という新幹線車両も引退してしまいました。
そのため山陽新幹線は700系とN700系、それからまろんが最も好きな500系という新幹線
だけになりました。
またまた、ちなみに今絶好調の山陽新幹線にも乗り入れる九州新幹線はN700系と800系です。
九州新幹線は九州の味わいを醸し出すインテリアが素敵で、乗るだけで幸せになれる車両です。
おすすめです。

三島で鈍行旅行に戻り、
三島→熱海
熱海駅では駅のホームにある売店で、豚まんとびっくりどら焼きを買いました。
後者はあんこがほんとにびっくりするぐらいびっしりと詰まったどら焼きで、ドラえもんに
あげたらすごく喜びそうです。
つぶあんが好きな人は大満足できるどら焼きですので、よければお試しください。
ちなみに、ドラえもんはあんこが好きなのか?まわりが好きなのか?どちらなのでしょうか?

熱海からJR東日本に入り、
熱海→小田原
小田原から湘南新宿ライン経由の特別快速高崎行きに乗り換えて、
小田原→大宮
大宮で宇都宮線に乗り換えて、
大宮→宇都宮
宇都宮でまたまた乗り換えて
宇都宮→黒磯
黒磯で再び乗り換えて
黒磯→福島

今日のまろんの宿泊は生涯はじめての福島泊になります。
とりあえずホテルにチェックインをして、いつものとおり街を散策することにしました。
昨年の年末の東北・北海道旅行の途中で福島で下車したときは、街自体に若干暗い印象を受けた
のですが、今回は街中をじっくりと散策して、まろんが苦手な歓楽街近くも歩いて、結構な活気
を感じました。

福島市内はいわきなどの海岸線沿いからはかなり離れており、また原子力発電所からも距離が
ある内陸に位置しているため、地震そのものの影響以外はそれほど大きな被害を受けたわけでは
ないようですが、いずれにせよ原子力災害により「フクシマ」という名前で世界に覚えられ、
様々な風評被害を受ける立場になっていることから、前途は様々な苦難が待ち構えています。
まろんのほんのわずかな微力を含め、我が国の国民が一丸となって、様々な支援を、協力をしていくべきですね。

ちなみに、ホテルで晩ご飯を食べていたりすると、ちょくちょくと軽い地震が発生し、心理的に
やはり落ち着かない感じになります。
2011/3/11から2週間程度経過した頃、落ち着きを失った東京の街に宿泊したときも
かなりの頻度で強い地震に遭遇しましたが、そのときの記憶がまざまざと浮かび上がってきました。
あの時は生涯初めて携帯電話の緊急地震警報を聞いて、こんなに心臓に悪いものはないなあと
思ったものですが、こればかりはどうしようもないですが、なれすぎず、心配しすぎず、
前に進んでいってほしいと強く思いました。

福島の街を散策したら、ホテルに戻り、晩ご飯を食べて、風呂に入って、この記事を書いて、
明日に備えて深い眠りにつくのでした。
posted by まろん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まろん」の知恵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする