2011年07月28日

仙台・石巻をまわって~後編~

※この記事は「仙台・石巻をまわって~前編~」の続編です。

7/27 7時半頃携帯電話のアラームで起床したまろんは
顔を洗ってすっきりさせてから、ホテルのサービスである朝食を食べにロビーへ。
ホテル特製の焼きたてのパンと野菜ジュース、コーヒー、ゆで卵を食べ、
おなかがいっぱいになったら、ホテルのサービスの新聞片手に部屋に戻り、
新聞を読みながら、昨晩買っておいた黒ゴマぷりんを食べて、
そそくさと身支度を整えてから、元気いっぱいホテルを出発するのでした。
さすがに、大阪よりもかなり北の地にある仙台の街は若干の涼やかさを感じます。

ホテルから歩いて5分程度の場所にあるあおば通駅に向かい、
あおば通駅からはJR仙石線に乗車し、
あおば通→松島海岸

仙石線は東日本大震災の影響により高城町駅から矢本駅までが
4ヶ月たった今も不通の状態にあるため、目的地の石巻に行くには、
高城町駅のひとつ前の松島海岸駅からJR東日本の代行バスに
乗車する必要があり、松島海岸で降りて乗り換えとなります。

代行バスに乗り換えるとすぐに出発となり、
松島海岸→矢本
代行バスに乗車すると電車から眺めるよりも我が国の3大名勝の
ひとつの松島をじっくりと見ることができました。
以前訪れたときと比べると、津波の影響により島の形などが
かなり変わってしまっていましたが、
また街のあちこちで被害の痕跡を確認することができましたが、
観光船が復旧していることや水族館が復旧していることなど、
落ち着きを取り戻しつつある印象があり、少なくとも復旧、復興の
軌道には乗り始めているように感じました。
ホテルの宿泊なども可能になりつつあるようで、観光客も増えていくでしょうから、
以前のような活気を取り戻してくれることでしょう。

一方松島海岸駅からしばらくした野蒜などの地域については、、、
凄惨、、、この言葉しか思い浮かびません。
この地域の地震と津波の被害の甚大さを語る言葉は他にありません。
街を覆った水が引くことなく、まだ残ったままで、まるで沼の中に
浸かってしまったような街、
そこにたたずむガラスなどがすべてなくなってしまったビル、
二度と耕すことはできないのではないかと思わざるを得ない田畑、
電線が曲がりホームを押しつぶし、ぼろぼろになっている野蒜駅、
その駅のとなりで傾くビル、
どうしてこんなことになってしまったのか?
なんで?どうして?
ただただ、そんなことしか思い浮かばない無力なまろんの傍らで、
この甚大な被害から少しでも前に進みだそうと必死に作業を進める人々と
トラックなどの重機がひっきりなしに走り回る姿がありました。
まろんはただただ見つめるしかできませんでした。

矢本に到着したら再び列車に乗り換えて、
矢本→石巻
本来はこの区間は電車区間なのですが、東日本大震災の影響なのでしょう
ディーゼル車に変更となっていました。

石巻に到着したら、少し駅の周りを散策してから、バスに乗車しようとしましたが
まろんが希望するようなところをまわってくれるバスがないため
仕方なくタクシーを利用して、魚がおいしいという安易な発想で、
石巻の魚市場に行こうと思い立ちました。
しかし、この行為によって、まろんは、東日本大震災の被害は、
この安易な思いがまったく通用しない甚大なものであること、
またその被害から復旧、復興を進めることができない我が国の政治が
いかに稚拙で、どうしようもなく無能、恥ずべきものであるかをしっかりと教えてくれました。

石巻から魚市場への途上、まろんが目にして最もショックを受けたのは
信号機さえ復旧しておらず、警察官の手信号にゆだねられている光景。
予想さえもしなかった光景に、呆然としてしまいました。
タクシーの運転手の方は、「なんで信号機さえも復旧しないのか」と
しきりにおっしゃられていました。
確かに何でなのでしょう?

この光景以外にも、街は地震と津波で押しつぶされ、壊れかけた建物と、
瓦礫と砂利道、埃や塵が舞い、近くの学校は避難場所となっており、
1階から3階までがいっぱいの状態。
救援物資も先週ぐらいまでは枯渇しかかっていたとのこと。
もちろん魚市場は再開のめどさえもたたず、というよりも建物自体が
破壊されてしまって休業状態。
仮設市場が近くの漁港で設置されているものの水揚げはほとんどなく、
そもそも燃料もなく、漁獲したものを街に運ぶための氷もなく、、、
という状態でとてものこと漁業ができるような状況ではない。
お土産などを買おうにもそういうお店もない状況。
まろんの心は沈む一方です。

先般の松島の状況と比較すると、石巻は復旧、復興のための
入り口にさえ差し掛かることができていない状況です。
なんでこんな状況なのか。
もっとなんとかならないのか。

とりあえずタクシーで魚市場近くに行きましたが、加工倉庫なども
壊滅状態で、建物はぼろぼろ。窓がないため埃が入り放題。
屋根は落ちてしまって作業は不可能。
道は砂利道で泥だらけ。
近くで若干進み始めている建物の解体作業等により空気はよどんでいる状態。
タクシーから降りて、20分程度沈む心をより沈めるために
まろんは周りを散策し、なんで?どうして?どうしたら?を繰り返すのでした。

その後同じタクシーに乗車して、色々とお話を伺いながら石巻駅に戻り、
また訪れることを約束してタクシーを降り、
やっとの感じで開いている近くの商店街のパン屋さんで黒ゴマソフトクリームと、
牡蠣入りクリーム揚げパンを購入。
他に何か土産等を買える場所はないかと思いましたが、駅のコンビニと
笹かまぼこ屋さんがあるぐらいで、仕方なく駅に向かって、
往路は違うルートで仙台に戻ることにしました。

石巻→小牛田
この途中ソフトクリームとパンを食しましたが、絶品でした。
クリーム揚げパンが牡蠣入りというのがなんともご当地の雰囲気がしてよかったです。
もちろんソフトクリームも黒ゴマがかなり効いていて、超おすすめです。
石巻に行かれることがありましたら、是非是非食べてみてください。

小牛田で東北本線に乗り換えて、
小牛田→仙台
仙台で、まろん名物の駅弁「伊達飯好 仙台の祭り弁当」を購入し、
時間がないこともあり、新幹線やまびこ号に乗車して、
仙台→東京
ちなみに「伊達飯好 仙台の祭り弁当」は、いわばミニ弁当が
2種類入っているような感じの弁当で、1種類は牛タン弁当、
もう1種類はしゃけやいくらが入っている海鮮弁当。
この趣向といい、味といい絶品でした。
また何か仙台七夕の組み立てキットもついていました。
心沈む旅路の心休まるひとときでもあります。
心休まるといえば、仙台の女性は色白で綺麗な美人が多いのも
まろんには最高に心休まるひとときです。
ただ、本当に心休まるひとときが必要なのはまろんではないはず。。。


東京からは東海道新幹線のぞみ号で、
東京→名古屋
名古屋からはまろん名物の鈍行旅行に変更となり、
名古屋→大垣→米原→大阪→京橋→放出(はなてん)→JR河内永和→八戸ノ里
と乗り継ぎ、実家に戻りました。
実家でぷりんを愛でて、お風呂に入って、ブログを書いて、
しばしの旅の疲れを癒すために眠りにつくまろんなのでした。
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2011年07月27日

仙台・石巻をまわって~前編~

7/26 26日27日と連休のまろんは、かねてから予定していたとおり
東日本大震災の甚大な被害を受け、今まさに復旧、復興の途上にある
仙台、石巻の現場を訪れるために、朝食に食パンと野菜ジュース、
トマトを食べて、愛しの「ぷりん」をしっかりと愛でてから、
元気いっぱい実家を出発したのでした。

八戸ノ里→鶴橋→大阪→新大阪
現在は青春18きっぷのシーズン途中ということで本来であれば
まろん名物の鈍行で行くところですが、予定が詰まっていることもあり、
今回は新幹線を使うことにしました。

新大阪からはひかり号に乗って
新大阪→東京、

東京に到着したら、いつもの?酒豪の女性たちとのランチを楽しむために、
大手町まで歩いて東京メトロ東西線に乗車し、
大手町→九段下→半蔵門

それにしても東京の街は真っ暗ですね。
節電の影響であることは間違いないのですが、まろんの個人的な感想では
まあちょうどいいぐらいではないかなという感じです。

ただ、今回地下鉄やJRなどに乗車して少し驚いたのは、
節電といことで列車の中の蒸し暑さを覚悟していたまろんでしたが、
冷房がかなり効いており、若干寒さを感じる程度だったことで、
暑さが苦手なまろんには非常にありがたかったです。
逆に関西地方の列車の方が節電のために冷房が効いておらず、
なんとなく複雑な気持ちでした。
関東の方がどこに電力を費やすのかを論理的にしっかりと考えているのかな?
思ってしまいました。(笑)
もしくは、最近のニュースを見ていると関西の方が電力が逼迫しているようで、
そのせいなのかもしれません。
どちらにしても東京に新しい仕事を見つけても大丈夫だなと
感じたひとときでした。

半蔵門に到着したら、いつもの?酒豪の女性たちと再会し、
前回のランチの時には30食限定のため食べることができなかった
行列ができるお店に入って、おいしいと評判のランチ、
メニューは鰹の叩き丼と鯵の塩焼きを囲みながら、
そしてまろんは女性3名に囲まれて、楽しいお食事とおしゃべりを
いつもどおり楽しみ、充実したひとときを過ごすのでした。

さて、楽しい時間はすぐに過、ぎるもので、1時間程度団欒した後
まろんは素敵な女性たちとお別れをして、本日の目的地である
仙台に向けて出発するのでした。

四ッ谷駅まで徒歩で向かい
四谷→御茶ノ水→秋葉原→上野
しかし、上野駅で当初予定していた電車に乗ることができず、
しばし熟慮した後、とりあえず大宮まで向かうことにして
後続列車に乗って
上野→大宮

本当はすべて鈍行で仙台で行く予定にしていましたが、
前を行く列車に追いつくために、仕方なく新幹線を利用することにして、
モバイルSUICAで宇都宮までの特急券つき乗車券を購入し、
MAXやまびこ号の2階席に乗車して、
大宮→宇都宮
宇都宮からはいつもの鈍行に乗り換えて
宇都宮→黒磯→郡山
郡山でしばしの休憩を取って、
郡山→福島

郡山、福島では改札を出て、若干散策をしましたが、
福島原子力発電所の影響を若干受けているのか、
また節電でホーム等が暗いことも関係しているのか、
なんとなく県民の方の様子を含めて、過去に来たときのような
明るさや勢いというのが感じられないように感じました。
まろんの錯覚かもしれませんが、少しでも早く、1日でも早
今までのように、今まで以上に復旧、復興していただけることを
ささやかながら祈るまろんでした。

福島から鈍行で仙台行きに乗車しようとしましたが、
ラッシュに重なってしまい、あまりにも混雑しているため
またなんとなく疲れがたまってしまっていることもあるため
仕方なく今回3度目、新幹線で移動することにしました。
前回同様モバイルSUICAで福島から仙台の特急券つき乗車券を
購入して、
福島→仙台
仙台に到着したら早速駅弁を買ってホテルに、、、と思いましたが、
まろんの楽しみの駅弁はすべて売り切れ!
確かに20時半ぐらいですからねえ。
仕方なくとりあえずホテルへ。

ホテルで着替えをしたら、まろんの旅行名物の街の散策をして、
晩御飯を調達し、ホテルに戻って、「ぷりん」がいない寂しい
晩御飯を食べて、シャワーをかけて、ブログを書いて、
翌日の予定をある程度決めてから、眠りにつくのでした。(笑)
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2011年07月14日

今後の原子力発電について~前編~

3/11に発生した東日本大震災の地震と津波による甚大な被害から、
稚拙な政治によって強く足を引っ張られながらも、
徐々に、本当に徐々に前に進みだしている地域とは相違し、
福島第一原子力発電所によって被害を受けた地域については、
今はまだ改善の見込みも、改善にいたるまでの見通しも
全くたっていないのが実情です。

というよりは、福島第一原子力発電所による被害については、
少なくとも今までの生活を取り戻すという復旧という段階さえも
実現することができるのか?
今まで住んでおられた方々が、元の場所に戻ることができるのか?
それすらも疑問符が投げられているというのが現状だと考えます。

このような福島第一原子力発電所の被害の実情と、
3/11以降に様々な文献や識者の見解、ネット上の様々な意見などを
詳細に精査し、そこにまろんの見解をプラスして、
感情論に陥らずにまろんなりの冷静な結論を導き出したいと思います。
なお、今回参照した文献等は記事末に列挙しております。
興味がありましたら、一度手にとっていただければと思います。


そもそも我が国のような地震大国、歴史を紐解けば、
過去に何度か今回の津波に匹敵するような甚大な被害を受けた
という事実が存在する地震大国において、
これだけの多くの原子力発電所が存在するのは何故なのか?
浜岡原子力発電所のように、明らかに震源地の上の土地なのに、
場合によっては何mにも及ぶような地割れや
土地がスライドし、建造物そのものが決定的に破壊されてしまう
被害が発生する危険性が高い場所に、原子力発電所が
建設されているのは何故なのか?

そもそも第二次世界大戦において、世界で唯一原子力爆弾を
投下され、何十万人という一般市民の被害を受けた我が国が、
また戦後米国や世界の圧力で、原子力技術への参画を
拒否され続けていた我が国おいて、いつの間にこれだけの
原子力発電所の建設に進むことができたのか?

大阪在住のまろんは福井県の若狭湾に多くの原子力発電所が
あることは知っていましたし、事故があったが柏崎、福島などは
耳にした程度ではありますが、存在は知っていました。
しかし、北海道や九州、四国、中部などにも存在しているとは
知りませんでした。
まろんが知っている必要性はないのでしょうが、ここまで
幅広く建設されていたというのはかなりの驚きでした。

ちなみに沖縄には原子力発電所はありません。
その理由は米軍の基地が多く存在しているからで、
万が一今回のような事態が発生した場合に米軍に多大な影響が発生し、
世界のパワーバランスなどに支障が発生するからということのようです。
沖縄県民のことを考えて、ということではないというのが、
戦後我が国が辿った米国の属国であるかのような経緯に
照らし合わせると、なんともひどい話であり、情けない話でもあります。

この件でひとつ付言すると、先般の浜岡原子力発電所の停止要請ですが、
これは政治決断によるものであるという評価もあるようですが、
実際は浜岡原子力発電所で福島第一原子力発電所と同等の事故が
発生した場合に、浜岡原子力発電所の東側に位置する須賀基地の米軍、
横田基地の米軍に対する影響を排除するために、米国から圧力が
あったということであって、何も我が国の政治の「英断」ということではありません。
原子力発電所反対論者にとっては、結果として停止されたというだけで
評価に値するのかもしれませんが。

何故ここまで幅広く原子力発電所が建設できたのか?
我が国の原子力の研究・開発が始まったのは、
サンフランシスコ講和条約締結後占領軍から開放されてからのようですが、
まろんの推察がかなり入りますが、米国が我が国を原子力の世界に
引きずり込もうと決意したことと、我が国の政治家がいずれは核武装
ということを見越して動き始めたその意志との間に
コンセンサス(同意)が得られたからであると思います。
つまり、米国が我が国の技術を原子力に活かしたいと考えたからなのでしょう。

その後地道な研究は進み東海原子力発電所を中心として、
原子力発電所が建設され始めたのですが、この動きに拍車をかけたのは、
戦前、戦争に突入する直接的なきっかけになった燃料不足というトラウマが、
東京に発生した電力不足による一斉停電、石油危機などによってまざまざと甦り、
化石燃料に頼らないための方策として、原子力の推進が必須であるという
言わば国家的な確固としたビジョンが掲げられてしまった
ことではないかとまろんは考えます。
確かに国家戦略として、当時の状況を推察すると、このような政策は
やむをえなかったのではないかと思います。

人は現状の大きな変化
たとえば、今までできたことができなくなること、
今まではあったものがなくなってしまうこと、
などに対して異常なまでの恐怖を感じるものであり、
その恐怖を解消するために、将来を真剣に見据えることなく、
幅広い視野からその危険性などを謙虚に検証することもなく、
突き進んでしまう生き物ですが、
原子力に関する危険性をまろんなりに検証してみた結果感じることは、
原子力発電所の建設をあまりにも性急に進めすぎた感は否めません。

今後より危険性が高いプルマーサル、高速増殖炉などの研究開発を
今までどおり進めていくについては、
それにかかる膨大な費用、被害が発生した場合の桁違いの甚大性、
人間の能力の限界、既得権益にまみれ冷静な対応ができていない状況、
日本近海のメタンハイドレードや
米国やカナダ、ブラジル等で発見されているシェールガス
その他天然ガス関係の石油代替エネルギーが発見されている事実に
鑑みると、反対の立場を取らざるを得ません。

ただ、簡単に反対といって終わることができないことが
原子力発電の事業には存在し、そのことに我々は向かい合わなければなりません。
それは曲がりなりにも今までこの事業を推進してきた我々の責任でもあります。

この部分については後編に続けたいと思います。


最後に今回参照した文献は、
(1)原子力発電について、学者の立場からその危険性を長年研究、
その結果を啓発されてきた小出 裕章氏が著された
3/11以降ベストセラーにもなった書籍
「原発のウソ」
原発のウソ (扶桑社新書)
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小出 裕章

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(2)原子力推進派に近い見解を持たれつつ、またその卓越したIQから、
非常に優れた施策や戦略を提示される大前研一氏が著された
「日本復興計画 Japan;The Road to Recovery」




(3)戦前戦後から大局的な見地で、ずっと我が国を俯瞰してこられ、
様々な有意義な提言を評せされている長谷川慶太郎氏と
日下公人氏が著された
「東日本大震災 大局を読む!」

東日本大震災 大局を読む!
李白社
長谷川慶太郎

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(4)独立総合研究所 青山繁晴氏による
関西テレビ報道番組のニュースアンカーやyoutube等の動画の解説
著者参考文献「王道の日本 覇道の中国 火道の米国」青山繁晴氏

王道の日本、覇道の中国、火道の米国
PHP研究所
青山 繁晴

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(5)経済企画庁長官などを歴任された堺屋 太一氏による
「第三の敗戦」

第三の敗戦
講談社
堺屋 太一

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(6)我が国の危機管理の第一人者の佐々淳行氏が著された
「国家の実力―危機管理能力のない国は滅びる」

国家の実力―危機管理能力のない国は滅びる
致知出版社
佐々 淳行

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その他多数の文献
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